■剣山登山断念
・・・と思ったら晴れてきたりして。
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ドイツのフォルクスワーゲンが不正な手段で環境基準の検査をクリアしていたとする調査結果を、アメリカの環境保護局(EPA: Environmental Protection Agency)が発表した。
ディーゼルエンジンの車に特殊なソフトウェアを組み込み、検査の時だけ基準を達成するような仕組みにしていたらしい。
検査用の走行パターンが明らかになっているため、それを検知すると排気ガスをクリーンにするような制御にしていたようだ。
そんなことができるならいつもクリーンにしておけばいいではないかとも思うが、そうしたのでは売り物の高出力や高トルクが出ないのだろう。
ドイツ車のいわゆる「クリーンディーゼル」技術は、「ダウンサイジングターボ」技術とともに、私が感嘆すら覚えている対象である。
実際、私の車(ダウンサイジングターボのガソリン車)の排気量は1400ccに満たないが、そのエンジンが2500ccに匹敵するようなトルクを低回転から生み出し、燃費も抜群にいい。
フォルクスワーゲングループのディーゼル車はまだ日本で発売されていないが、近々導入予定ということで待ち望んでいる人も多いと思う。
私自身、待ちきれずに今の車を買ってしまったが、以前レンタカーに乗ったときに感動したこともあり、ディーゼルがあれば購入していた可能性は高い。
なのに、肝腎の「クリーンディーゼル」がクリーンではなかったというのだ。排気ガスも汚いが、そんな姑息な手段で不正に環境基準をパスするという、その心根はもっと汚い。
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現在のドイツといえば、EUの盟主であり、人権や環境なんかにおいても最先端をいく国家の一つである。進行中のシリア難民問題においてもリーダーシップを発揮し、今後1年間だけで12万人を受け入れて各国に割り当てるというEUの決定を主導した。
そのドイツ最大の企業グループの一つ(というか、最大そのものかもしれない)であるフォルクスワーゲングループが、環境破壊に加担するような行為を違法に行っていたというのは、ほんとうに残念だ。
私のようなドイツ(車)びいきへの、いや、大袈裟ではなくほとんど人類への裏切り行為である。
相次ぐ日本企業の不正には うんざりしていたが、あのドイツも同じだというのには、ほとんど絶望感すら覚える。
悪いのは人間そのものなのか、それとも、善良な人間をも不正行為に追い込む競争原理なのか・・・
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先日までまっっったく知らなかったのだが(なんという情報弱者・・・)、iPhone や iPad なんかで、雑誌が読み放題になるサービスがいくつかある。
とりあえず1か月は無料体験できるというので、docomo がやっている dマガジン というのを選んで会員になってみた。
立ち読みしていた週刊誌にたまたま広告が載っていたのだが、にわかには信じられなかった。
その、立ち読みしていた週刊誌の値段が一冊450円。
1か月、152種類の雑誌(週刊誌なんかもあるから、冊数でいうと数百冊)が読み放題で432円。
そんなことが世の中にありうると思いますか?
比較して高いとか安いとか、そういうレベルをはるかに超えている。これはもう「値段じゃない」(©村上春樹)。
一日15円で、ありとあらゆる(というと大袈裟だが、わりとそれに近い)雑誌が読み放題なのだ。
当初、読み込みが遅いのに閉口したが、設定のところ(アプリ内で「ダウンロード」となっている)で「バックグラウンドダウンロード」をオンにすると、それも気にならなくなった。
雑誌丸ごとが読めるわけではないし(比較サイトによると雑誌の6〜8割程度が掲載されているらしい)、SMAPの写真なんかはぜんぶ灰色に塗りつぶされている。
あと、性関係の記事やヌード写真などはすべて削除されているようだ。
(個人的には別にかまわないが、これは失敗ではないだろうか。ビデオやDVD、近年ではビデオオンデマンドにおいても、その普及にもっとも大きく貢献したのはその手のコンテンツだというのは業界の常識だと思うんだけれど。)
でも、病院の待合室なんかで読む『サライ』や『日経おとなのOFF』『dancyu』なんかが含まれてるし、『山と渓谷』『BE-PAL』みたいなのもある。クルマ系では『LE VOLANT』、パソコン系では『Mac Fan』なんかもありがたい。バイク系がなさそうなのが残念だ(訂正:『Riders Club』がありました)。
いや、これはもう、無料体験後も継続するしかないのでは・・・と考えた(というのはほとんどウソです)。
たった一日二日体験してわかったことは、自分は結局、雑誌なんかそれほど読みたいとは思っていないということである。
「これだけ読めて432円なんかで採算が取れるんだろうか」
「でもうちみたいに、ふだん雑誌に一円も使っていない家が毎月432円使うようになったら、それだけでも需要を掘り起こして収益を上げたということになるんじゃない?」
などと家人と言い合っていた。たしかに、会員がひとり増えたくらいでコストはほとんど増えないだろうから、数を増やせば増やすほど坊主丸儲けに近くなっていくんだろう。たとえひとりあたりたった400円(32円は消費税)でも。
しかし結局、うちが雑誌を買わないのは、単に吝嗇なだけではなく、基本的に雑誌を読みたいと思っていないのだということを改めて発見した。
とはいえ、たまには「この記事は読みたい」というのもないではない。現状では記事を検索することはできないけれど、新聞広告なんかで雑誌の見出しを見たときに、「あ、これはちょっと興味ある」と思ったらすぐに読めるというのは素晴らしい。
そのためだけに継続するかなあ・・・
でも、そういうのに限って省略されてたりして。
まあともかく、1か月後に考えてみよう。
(標題は、こういうのを宣伝するときに英語圏でよくありがちなコピーです。)
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北海道の大部分においては、鉄道はもはやその使命を終えつつある。というより、すでに終えているのかもしれない。
国鉄の民営化やその後の経営難に伴い、多くの路線が廃止されたが、「本線」と名がつくようなルートでも、上下合わせて一日に16本というのがスタンダードのようだった。その中に特急を含むのである(ちなみに大阪だと東海道本線だけで日に600本以上が走っている。もちろん新幹線は含まない)。
たとえば、稚内から6つ先の、サロベツ牛乳で有名な豊富の駅に行こうとすると、列車は日に5本である。6時過ぎの始発に乗り遅れると、次の電車が出るのはほとんど5時間後の11時前になる。
札幌へ向かう特急は日に3本出ている。しかし、稚内から札幌にもっとも早く行ける公共交通手段は飛行機で、もっとも安く行けるのはバスである。そして、直通の特急に乗ったとしても5時間以上かかり、バスとくらべて特別早いわけではない。高くて遅くて本数もほとんどない鉄道に、だれが乗るというのだろうか。
反面、道路は充実している。しかし・・・
ほんとうに車よりキタキツネの通行量の方が多いような立派な道路がいくつかある。地図に「交通量はほとんど無い」と書いてあった道路がそうだった。それとは別に、「交通量は皆無」!と書いてある道路もいくつかある。それもたとえば「ロングワインディングロード」だ。
その種の道を作ることは、環境を破壊すること以外にほとんどなんの意味もない。莫大な費用を使って何をやっているのか。
文字通り縦横に走っているそれ以外の立派な道路にはもちろん功罪両方あるだろうが、これほどまでに金銭を投入して敷設・維持する意味があるのだろうか。新しい高速道路も次々と建設中である。そんなものがなくても移動には困らないのに。
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「北方領土」の択捉島に「初の舗装道路が完成」したのはなんと2013年だという(20150823朝日新聞)。そのころからロシア政府としても開発を進めているようだが、もし数十年前に日本の領土に戻っていれば、今ごろは広い舗装道路が張り巡らされていたことだろう。
仮にそうなっていたとして、それがだれと何にとってよかったのか悪かったのかは、なかなか難しい問題だけれど。
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ひとりで車を運転して北海道を走り回ったりしていると、さまざまに思いをめぐらすことになる。
アイヌ・歴史・探検・移住・開拓・開発・自然・交通・狩猟採集・農業・経済・政治・環境、そして近代国家と国境・・・
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アイヌの人口は現在数万人と言われているが、ピーク時はどれくらいだったんだろう? いくら多くても、何十万というオーダーには達していないはずだ。おそらく10万に届いたこともなかったのではないか。
それでいて不思議なのは、広大な北海道のほんとにすみずみにまで、アイヌ語の地名がつけられていることだ。どんな原野の片隅も森林の奥も、アイヌモシリ(人間の住む大地)の一部として認識されていたのだろうか。徒歩以外に交通手段がない時代に。
コミュニケーション手段も直接対話以外になかったはずである(狼煙なんかは使ったのかな)。たとえば現在でも有名な白老と平取と阿寒の旧アイヌコタンは、相互に数百キロも離れているのだが、それほどの距離を隔てて、同じアイヌ語が使われていたというのも驚異だ。言語の地域差は小さなものではありえないと思うのだが、アイヌ語の方言の話は、樺太アイヌ関連以外でほとんど聞いたことがない。
衣服の文様などに関しては、それぞれの集落で違いが見られる旨、博物館などで説明があったが、アイヌ語のそれは見かけなかった。まあ、単に見落としただけかもしれない。
北海道がアイヌのものであった時代、そこに国境などというものは存在しなかった。「北方領土」にだってサハリン(樺太)にだって、国や国境を意識せずにアイヌは住んでいた(アイヌ以外にも、ウィルタやニヴフもいた)。
ところが、近代国家による国境策定の波に翻弄され、半ばあるいは全面的な強制の下に、新しく引きなおされた国境のどちら側に住むべきかを強いられたのだ。
そして、そのどちらに住んでも、待っていたのは差別と抑圧だった・・・
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ツイッターに書いたものは流れていってしまうような気がして(そんなことを言えば、ブログに書いても同じことなのかもしれないが)あまり好きではない。
本来、ことばなんて流れていってしまうものなのに、それを定着させようというほうがどうかしてるんだろう。
妄執のようなものである。
そうは思いつつ、妄執であれ何であれ、現に執着があるんだから仕方がないという気持ちと、その妄執こそが文字を産み、文明を産み、記録方式の発展を産んで、ここにブログやらツイッターやらがあるのかもしれないという思いとから、せめて北海道旅行中のツイートだけはここにも記録として残しておくことにする。
個人的には、この記録も記念となり記憶につながる。
(パソコンではなくスマートフォンで拙ブログをご覧いただいている方には初出となります。特にお読みいただけるような内容があるわけでもありませんが、それはブログ自体も似たようなものなので、気が向いたらご笑覧くだされば幸いです。)
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2015/08/19 19:41 出だしから雨。バイクにしなくてよかった。
2015/08/19 23:49 最下等のベッドとは思えない。極楽。新日本海フェリー、お勧めです。
2015/08/21 13:01 白バイが、トンネル内の待避所にスタンバイ。初めて見た。
2015/08/21 17:53 キタキツネに遭遇。
2015/08/22 09:47 ウトナイ湖の野鳥サンクチュアリにいる。鳥影薄いが、またキタキツネに遭遇。
2015/08/22 16:09 萱野茂 二風谷アイヌ資料館に来たら、息子の史朗さんが受付をしていらして、思わず声をあげてしまった。
2015/08/22 22:25 最後の急登の記憶と、その後眼前に開けた素晴らしい高原の眺めからすると、27年前に層雲峡から黒岳山頂まで登ったことになるらしい。「山頂」の記憶がまったくないんだけど・・・ まあ確かに、ロープウェイもリフトも下山の行程も、宿泊したホテルもすべてまったく記憶にないんだから同じことか。
2015/08/22 23:05 なんと、毛布を掛けて寝るとちょうどいい・・・
2015/08/23 21:21 目撃したキタキツネがたぶん8頭を数え、そろそろ正確に把握するのが難しくなってきた・・・
2015/08/23 22:50 喫煙部屋しか取れなかったので窓と入口を開けて換気していたら、室温が15℃。真冬の自宅より寒い。
2015/08/23 23:46 自分史上日本最北にいることに、今、寝床の中で気づいた。あんまり意味のないことだけど。
2015/08/24 10:44 サロベツ原野でも4Gの電波が入る。
2015/08/24 16:21 サロベツ原野の上空をタンチョウが2羽飛んで行った・・・
2015/08/24 19:12 稚内。日が落ちると、気温13℃。
2015/08/24 20:05 今夜は、稚内に単身赴任しているサラリーマンのお宅の一部屋を間借りすることに。いえ、旅で知りあったわけではありません。
2015/08/25 09:11 初めて見た。
2015/08/25 11:09 サハリンが見えた!
2015/08/25 13:01 サハリンに白いタンクのようなものが5つみえる。
2015/08/25 14:35 「iPhone 6 で撮影」したサハリン。みえるかな?
2015/08/25 17:14 神威岬
2015/08/25 19:25 何十キロ走っても、食事できるところが一つもなく、あったのは「どうしてこんなところでやっていけると思ったんだろう?」という場所にある、廃業したラーメン屋の廃屋のみ。
2015/08/25 21:00 あかん、本格的に寒い。
2015/08/26 07:01 なんじゃ、これは。
2015/08/26 09:32 朝っぱらから・・・という表現もなんだが、また何十キロ走ってもコンビニすら一つもなかった。われながら学習しない・・・
2015/08/26 12:24 テネシーワルツの歌詞を初めて聞き取った。こんな内容の歌だったとは・・・
2015/08/26 12:26 初めてエゾシカと遭遇。親子三頭。
2015/08/26 13:37 自分の持ってる曲の中に Strange Fruit が入ってるのにも初めて気づいた・・・
2015/08/26 15:33 本来、観光地観光地したところは嫌いなのだが、そういう場所の方がちょっとホッとできるかなと思い始めていた・・・でもやっぱりダメだった。
2015/08/26 23:38 エゾシカがうるさい。睡眠の邪魔をしないでほしい。(訂正:ほとんどはウミネコとカモメの騒音でした。)
2015/08/27 18:10 無給油で1000km走破達成
2015/08/27 18:33 そんなことより?摩周湖から弟子屈へおりる道で前を横切ったのは、間違いなくヒグマだと思う。
2015/08/28 16:28 北海道はなぜかガソリンが安い。ありがたいけど。
2015/08/28 21:42 だからといって、夜の富良野を40kmも無駄に走り抜ける羽目になるとは・・・ これも行きあたりばったりの弊害。
2015/08/28 22:03 そういえば・・・というわけでもないが、こちらに来てからまったく水田を見ていない。きらら397とかを作ってるのはどこなんだろう? 道南だけなのかな。
2015/08/29 05:54 富良野の日の出は4時50分。大阪より40分も早い。
2015/08/29 10:36 昨夜食べたタコのトマトソースパスタに、大根を炊いたものが入っていたのが謎。
2015/08/29 11:25 富良野には水田があった! そろそろ刈り入れか。
2015/08/30 05:55 相部屋のベッドで寝ているのだが、4:45に起き出して隣のキッチンで料理を始める奴がいた。日の出もそのころで、部屋は明るい。もう寝られないかなあ・・・
2015/08/30 05:57 と思っていたら、豪快ないびきが聞こえてきた・・・
2015/08/30 13:28 滝川。由緒ありそうな街角に歴史案内のような看板があったので、私の好きな江戸の街並みなんかがあったら見物してみようと一瞬思ったが、そんなものがここにあるはずはないのであった・・・
2015/08/30 13:32 滝川から石狩に抜ける道沿いは、「帰国」したかのような錯覚を覚える里山的田園風景であった。道路も北摂(大阪北部)山間部品質。
2015/08/30 13:45 ホッキ(貝)をイメージしながらホッケ(魚)の蒲焼き重を注文してしまった。大失敗。貝の蒲焼きというのに違和感は感じてたのに・・・
2015/08/30 13:57 滝川ー石狩間。もちろんブラキストン線より北なのだが、植生も本州を思わせる。
2015/08/30 17:56 小樽の国道沿いですら、ファミリーレストランひとつ見当たらない。
2015/08/30 20:25 昨日、美瑛から富良野に戻る道案内をグーグルに任せたら、未舗装路を走らされた。確かにいいルートではあったけれど。
2015/08/31 19:17 予定を早めて帰宅中。携帯の電波が入るくらいまで陸に近づいた。
2015/08/31 19:19 現在、丹後半島沖40kmくらいの海上を航行中。北海道と変わらぬくらい涼しい。
2015/08/31 19:25 facebookにはつながらない。
2015/08/31 22:46 ミニストップでソフトクリームを食べた。この旅行で唯一の贅沢かも。
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母親が脳梗塞で左半身不随になったというので、家族3人(+父親)で会いにいってきた。
最初会ったときの印象は、「覚悟はしていたものの」という感じで、「さすがにちょっとこれは・・・」だったのだが、しばらくその場にいて話などするうち、「まあこれなら何とか」という気もしてきた。
ことばが出てこないことも多いし、呂律も少し怪しいが、なんとか会話はできる。文字もあんまり読めなくなっているようなのだが、母親らしさはまだきっちりとそこにあり、幸か不幸か少し角が取れたような気もした。
左手はほとんど動かないが、左足の方はまだ少しは動く。これならリハビリすれば立って歩けるようになるのではないかと期待も持てる。
そのリハビリに行く前に血圧を測るのだが、それが高いというのでリハビリ可能かどうか作業療法士が確認を取りに行っている間、私が「170なんぼくらいやったら大したことないで」と言うと、母親が「いいや、何いうてんの、あんた。そんなことあるかいな」という表情をした。
その表情が元気なころ(といってもほんの2、3週間前だ)そのままで、ちょっとほっとした
リハビリを見学すると、動かない左手を右手で助けて何とか積み木を持ってカゴに入れたり、男物のカッターシャツを一人で羽織る練習をしたりしていた。
なんともまどろっこしく、こうなってしまった人間の無力さを通して、こうなっていない人間の弱さや脆さを思って切なくなる。
こんなことをゆるゆると日に計1時間やるだけで、80歳の老人が回復に向かうのだろうか。
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ひと月ほどこの病院でリハビリを続けたあと、かつて母親の従兄が勤めていたリハビリの専門病院に転院する。その話から親戚のだれかれの消息話になったのだが、ただでさえ固有名詞の怪しい老人が、脳梗塞など患うと、なかなか名前が出てこない。
私の知っている名前など限られているし、父親だって母親の親戚をぜんぶ把握しているわけではない。
だれでもない、かれでもないと名前が挙がるうち、父親が「そんなん、みんなもう死んでもたがな」(その人たちはみんなもう死んでしまったじゃないか)と言った。
そういう人たちの名前を母親が出したのだろうか、よくわからない。
とにかく、「みんなもう死んでもたがな」というのが滑稽で、吹き出してしまった。
家人と息子は何がおかしいのかときょとんとしながら聞くのだが、「「みんなもう死んでもたがな」て・・・」と言いながら、笑いが止まらず、説明できない。
いや、止まっても説明できないと思う。
とにかく、みんなそのうち死ぬのだ。
病院を後にして、夕飯の買い物をするためにスーパーに寄ったときも、ひとりでトイレに行ったあと、またおかしさがこみ上げてきて、大笑いを抑えながら戻る。
「どないしたん?」
「いや、またさっきの「みんなもう死んでもた」を思い出して・・・」
今こうやって書いていても、笑いを禁じ得ない。
Man is mortal. なんかより、「みんなもう死んでもたがな」のほうが、よほどリアルで滑稽だ。
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