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2016.05.23

■歳月

 前回ここに書いてから、はや2週間近く。

 そのことにも驚くが、歳月の主観的短さと客観的長さに気づかされた、別の出来事について。
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 自宅の風呂場には水栓が2つある。洗い場用とバスタブ用だ。前者にはシャワーもついている。

 いずれも混合水栓になっていて、洗い場用は指定した温度のお湯が出るようになっている。

 その2つの水栓の双方から水漏れしていた。

 カランを閉めておけば漏れないので、どうせ風呂場のこと、使用中に漏れても別に大したことはないと、数週間放置していた。

 でもまあ、なんとなく潮時かなと思って、いつものように、バラしてパッキンを替えることにした。

 バスタブの方は、古いパッキンを外すのにちょっと難儀したものの、あり合わせのOリングがちょうどぴったりとはまって、水漏れは簡単に止まった。
 こんなことでも、水道屋さんを呼ぶとたぶん5千円くらいはかかる。いったい、どれくらいの割合の人が頼んでいるのか知りたくなった。

 問題は洗い場用の方だ。「サーモスタット式シャワー混合水栓」とかいうらしい。メーカーなどによって呼び方が違う。

 ロックナットを緩めて吐水口を取り外すと、あるはずのパッキンが見当たらず、黒いカスのようなものが付着していて、その辺に飛び散った。
 まさかとは思ったが、パッキンのゴムが経年劣化で分解してしまっているのかもしれない。

 いい機会だからと、金属磨きで綺麗にしたところ、使用時に目に入る部分は新品のようになった(が、結局は無駄な労力だった)。

 さて、構造自体は単純なので、パッキンがあったはずの場所にOリングをはめて取り付け直す。だが、漏れは改善すらしない。

 理屈からいって、Oリングをはめれば少なくとも漏れは少なくなるはずである。それが、まったく変わったように見えない。

 不思議に思って調べると、自在パイプなので特殊なパッキンが使われているようであった。
 確かに、ふつうのOリングを使うと、吐水口の動きが渋くなる。だが、それはとりもなおさず、隙間がなくなっているということではないのか・・・

 まあ、諦めて本来の「自在パイプ取付パッキン」を購入しようと、再度吐水口を取り外して問題の箇所を子細に見ると、なんと!パイプのくびれた部分が経年劣化して穴が空いているのであった・・・
Img_2851_32_2

 こんなことは初めてだ。

 最初は何か汚れでもついているのではないかと思ったが、部屋を暗くして水の代わりにLEDライトの光を入れると、そこから漏れてくるので間違いない。
Img_2853_32_2

 これはもう、水栓全体を取り替えるしかないかなあ・・・ めんどくさいなあ、お金もかかるなあ・・・ と思いながら調べてみると、吐水口だけを2千円ほどで購入できることがわかった。

 残りの部分だってもうずいぶん長い間使っているんだけれど、今のところ不都合はない。倹約家のわが家のこと、少し思案して、やっぱり2千円ですませることにした。

 それにしても・・・

 この家に越してきてからの短い歳月は、金属パイプに自然に穴を穿つほどの長さなのだ。

 なんかまだ、ちょっと新築みたいな気分でいるのに。

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2016.05.11

■『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』(物書堂)

 パソコンに入っている、コトバの辞書類の古さが気になってきたので、新しい版のものなんかを入れたいと思ってネットでいろいろ調べていた。

 ところが、いつの間にか時代が変わって、もうパソコンにローカルで辞書を持つというのは流行らなくなっているようで、ほとんど該当する製品がない。EPwing 規格の辞書なんかもなくなってしまったようだ。

 代わって、「会員になればWebで見られる」というのと、iOS 用のものとが目立つ。

 うーん、そうじゃなくてパソコン内に全データを持った辞書を使いたいんだけどなあ・・・と思いながら、気紛れに物書堂のウェブサイトを見てみた。

 やっぱりというか、前からそうだったのだが、パソコン用の辞書は売っていない。

 だが、この際ついでにと、ひととおり何が売っているかをブラウズしていると、なんと!!『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』が発売記念セールで、3000円のところ、今だけ2000円で売っているのを知り、よく考えもせずにすぐ買ってしまった。

 やっぱり iOS でしか使えないんだけど。

 同じ会社が出している『日本の野鳥(山溪ハンディ図鑑)』の素晴らしさは以前書いたとおりだ。

 アプリに使うお金なんか100円でも惜しいというケチの私が購入して、まったく後悔していない。

 この機会に皆さまもぜひどうぞ。

 『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』が
 通常3000円のところ2000円

 『日本の野鳥(山溪ハンディ図鑑)』は
 通常3500円のところ2500円

です(ともに2016年5月26日(木)まで)。

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2016.05.09

■渋滞嫌い

 渋滞が嫌いだ。

 「好きな人なんていない」とあなたは言うかもしれない。
 しかし、ふつうの人とは嫌いのレベルが違うと思う。行列なんかも大嫌いで、かなり徹底して避けている。結局は並んだほうがよかったんじゃないかというようなことがあっても、並ばなかったことに後悔はない。時間を無駄にすることよりも、並ぶこと自体が嫌いなのだ。

 5年前に初めて東北に出かけるまで、ゴールデンウィークに遠出した記憶はない。どこへ行っても混んでいるのが必定の時期に出かけるなんて、ありえないと思っていた。

 だが、その後、去年も今年も東北へ行った。大きな理由の一つは渋滞に遭わないことだ。
 今回も、まったく遭遇しなかった。

 もっとも混んでいたところでも、車の行列が進まないなどということはぜんぜんなく、天下御免の観光地(例えば八幡平)の駐車場などでも、寂しくない程度のにぎわいにとどまっていた。
 無料のキャンプ場など、「テントを張るところがなかったらどうしよう」と思っていたのに、むしろがらがらで、2箇所目などは私を含めて2人しかおらず、ゼロでもおかしくなかったくらいだった。

 これが信州だと、たぶんぜんぜん違う。何しろ、関東圏と中京圏の双方からの便が非常にいいのだ。

 東北はやはり、21世紀になっても「道の奥」である。それがしかし、おそらくは未来の展望を描きにくいことに結びついているのは、やるせない。

 まあ、日本全体としてもそうなのかもしれないけれど、少なくとも他の地方は、近年、あれほど広域にわたる大災害を経験していない。

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2016.05.08

■迷惑なキャンパーたち

 テントを張って寝るというのはたぶん30年ぶりくらいだと思うのだが、あんなに快適なものだとは思っていなかった。

 テントがよくなっていること、いい場所を見つけたこと、一人で寝たことなんかが作用しているのかもしれない。

 もっとも、昔のテント泊にも特に悪い思い出はない。
 でも、だったらなぜ、長い間テントを利用しなかったんだろうとも思う。

 今回の旅行で初めてテント泊をしたときには、予報に反してそれなりの雨になったけれど、雨音がする以外にはまったく不都合はなかった。

 「問題は撤収するときだよなあ・・・」と思っていたのだが、翌朝小やみになったときにテントを片付けようとすると、高級カルナバロウのワックスを掛けたばかりのクルマのように雨を弾いており、フライシートはさっと振って折りたたむくらいですんだ。そのフライシートに守られたテント本体もほとんど濡れていない。

 少しでも雨が降りそうな予報ならテントはやめようと思っていたのだが、設営と撤収の時にさえ降っていなければ、ほとんど問題がないことがわかったのは収穫だった。
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 問題は・・・ 周囲のキャンパーたちである。

 1回目の時は、良識ある4人組(でもいびきがけっこうひどかった)と、非常識な数人(5人くらいか)の学生たちと一緒だった。

・広い湖畔に私を含めて3組しかいないのに、一番最後にやってきて私のテントからほんの2mほどのところでバーベキューを始める。
・バーベキューが始まるの自体も20時をかなり回ってからであった。
・とにかく大声でしゃべり、哄笑し、話の内容も下品だった。
・テントの中にいると、それがほとんど枕元で叫んでいるように聞こえた。

 キャンプ場には、「21時以降は静かにしましょう」という趣旨の看板があったのだが、まあ23時くらいまではバーベキューをやっていても我慢しようと思っていた。
 21時半ごろに雨が降り出し、バーベキューをやめてテントの方に行ってくれるかと期待したが、結局22時半ごろまで騒いでいた。
 やっと片付け始めたので、私もテントから出てトイレに行き、戻るときにやさしく「おやすみなさい」と学生たちに挨拶をした。向こうも当然、「おやすみなさい」と挨拶を返す。

 これで、それ以降は静かになってくれるものと期待した。

 ところが、向こうではテントに入ってからも馬鹿騒ぎと哄笑が続く。数メートルは離れていると思うのだが、すぐ隣のように聞こえる。それでも24時前くらいまでは我慢していたけれど、とうとう、「もう少し静かにしてくれませんか」と頼む羽目になった。
 「はあい、すみませーん」と言って一応静かにはなったのだが、相変わらずの会話が小声で続き、笑い声も響く。内容の半分以上は聞き取れる感じだ。中途半端に聞こえるものだからかえって気になる。

 4時になったら明るくなって、鳥の声で目を覚まさせられるというのに、ほんとに困った連中だった。


 2回目の時は、気のいいバイク乗りの青年が一人だけで、まっとうな人物に見えた。

 なるべく迷惑をかけまい(&かけられまい)と、後から着いた私が離れたところに適当なサイトを探していると、奥へ行くと熊が出る可能性もあるし、こちらの方が地面も乾いていて平らだからと、隣に来るよう誘われ、結局お言葉に甘えて2mほど離れてテントを張った。
 バイク乗り同士、それなりに会話もし、かといってたぶん、お互いに邪魔もせず、今度は雨も大丈夫そうだし、良かったなあと思いながら床に就いた。最初に書いたように、テント泊自体はすこぶる快適である。

 だが、このキャンプ場に着いた瞬間によぎった一抹の不安は的中した。私が到着したとき、一人で先に来ていた青年は、かなりの音量でラジオの音楽を聴いていたのである。
 私が来たことでボリュームを下げてくれたので、良識のある人だと思っていたし、実際、寝ようとするときまではそのラジオの音も気にならなかった。

 問題は、おやすみなさいと挨拶をして私が寝る態勢に入って以降も先方は起きていて、結局24時を過ぎてもラジオを消さなかったことである。
 それどころか、自分が寝る態勢に入っても、テントの中でラジオをかけたままにしている。

 音量は下げているものの、先方がテントにラジオを持ち込むまでは、内容が100%把握できる程度に音声が聞こえた。テントの中に入ってからも、半分くらいの内容は理解できた。
 そして、3時と4時の時報もはっきりと聞こえた。結局、一晩中鳴らし続けていたのだ(NHKの「ラジオ深夜便」だった)。

 この青年は私と違って、テントを持ってあちこち旅行しているベテランだということだから、本人が小さいと思っている音でも、他のテントまでよく聞こえることを知らないとは思えない。
 それに、どこに行ってもこうやってお気に入りのラジオで周囲に迷惑をかけているのだろうか。これまで注意されたことはなかったのか。
 私も結局何も言わなかったから、やっぱり誰からも言われたことがないのかなあ・・・

 このラジオの件以外は何の問題もない人だっただけに、とても残念だった。
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 テント泊はすこぶる快適である。周囲に迷惑なキャンパーたちがいなければ。

 でもたぶん、どこへ行ってもいるんだろうなあ・・・ なんかそんな気がする。

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2016.05.05

■「遅々として」

 津波被害に遭った太平洋岸を北上するのはちょうど5年ぶりだ。5年前は震災の2か月後だった。

 5年後になって違うのは、通行止めが減った(それでも多い)ことと信号がすべて点灯していること、それに、瓦礫が片付いたこと(壊れた建築物や構造物は、かなりの数がそのまま放置されていたりする)。
 そして、多くの街に、上部を欠いた巨大ピラミッドのような盛り土の角錐台と、橋桁の載っていない新しい橋脚とが林立していること。

 「復興は遅々として進んでいない」という紋切り型の言葉すら、もはや当事者以外からは忘れ去られているのではないだろうか。私自身、再びここに来るまで、ほとんど意識にのぼっていなかった。

 しかしまさに、遅々として進んでいない。5年経っても、新しい建物はほとんど建っておらず、目につくのは、土木工事のための飯場と、仮設住宅ばかりだ。
 特に、陸前高田や女川など、街が壊滅してしまったところでは、巨大ピラミッドを並べて地面自体をつくる作業を進めている段階である。
 熊本地震からわずか2週間で高速道路も新幹線も復旧させてしまうこの国で、5年も経ってこの状態だというのは、ちょっと理解に苦しまざるをえない。

 まあ、「今後どうするか」を決めるために多くの時間が費やされたのだろうとは思う。結果として多くの自治体が「高台移転」に舵を切ったのが、正しいかどうかはわからない。海と陸とを分断する巨大な防潮堤の建設も。
 だが、方向性は決まったように見える。復興に向けて工事が進み始めていること自体はいいことなのだろう・・・
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 今回訪れたのは、南から 富岡・大熊・双葉・浪江・南相馬・相馬・新地・山元・亘理・岩沼・名取・仙台・七ヶ浜・多賀城・塩竃・松島・東松島(奥松島)・石巻・女川・雄勝(石巻市)・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌・山田 そして宮古・・・ の各地である。名取市以北では、車窓からあるいは徒歩で実際の津波被害の現場と復興の様子を見た。
 宮古からは内陸に向かったが、太平洋岸の被災地はまだまだ続く。岩泉・田野畑・野田・久慈・八戸・・・
 そしてもちろん、ここにあげた市町村がすべてではない。

 これら「津々浦々」の多くが壊滅的な被害を受けた。
 先の大戦で焼け野原になってしまった都市の写真を見たことがあるが、たとえば5年前の陸前高田や奥松島の様子は、それをもしのぐかと思われるほどの壊滅ぶりだった。言葉で表現するのを諦めたほどに。
 絨毯爆撃とそれに続く火災といえども、大津波ほど徹底的にはすべてを飲み込んで破壊したりしない。

 その陸前高田にも、まだまったくといっていいほど恒久的な建築物はなく、あるのは例のピラミッドばかりである。小高い丘の上に仮移転している市庁舎はまるで飯場だ。有名な「奇跡の一本松」の近くには巨大なつり橋が架かっていて、「ああ、道ができるのか」と思っていると、住宅地を造成している山から土を運び出すためのベルトコンベア専用橋だった。「希望のかけ橋」と名づけられている。
 かつてペンションに宿泊したことのある奥松島はさらにひどい。瓦礫は片付いているものの、壊れた建物はおろか、土地そのものさえ忘れ去られたように放置されていて、工事すらほとんどなされていないように見えた。
 そんな中、そのペンションが営業再開している(らしい)のを後に知って仰天した。あの現場ではそんなこと、夢にも期待できそうになかったのだが、もしそれらしき建物を見つけていれば、一泊したのに、と思う。

 救いというものがあるならば、各地の港湾が整備されて漁業が復旧しているらしいことと、その日お昼を食べたカフェを経営する醤油メーカーや上記ペンションのように、それ以外の産業の中にも立ち直りの兆しが見え始めていることだろうか。
 ピラミッドのような盛り土はこれからどうなっていくのか見えにくいが、林立する橋脚の一部には橋桁も載り、さらに一部は供用開始されはじめている。

 だが、鉄道の方は、工事にすら取りかかっておらず、放置されたままのように見えるところが多かった。実際、宮城県登米市の柳津駅から岩手県宮古市までの間で、開通しているのは大船渡−釜石間だけであるらしい。
 「仮復旧」としてBRT(Bus Rapid Transit ≒ 旧鉄道敷「も」利用する高速輸送バス)を走らせているが、それが定着して、結局鉄路は再建しないのではないかという気がする。でもまあ、本数も鉄道時代より増えているようだし、それはそれでいいのかもしれない。鉄道復旧という建前はまだ捨てていないみたいだけれど。

 一番の問題は、はたして人が戻るのかということだろう。

 たとえば、壊滅した陸前高田が新しい街に生まれ変わったとき(いつのことだ?)、生活の基盤を外に移してしまった人々が容易に戻ってこられるとはとても思えない。そして、仮に戻ってこられたとしても、そこは住み慣れた故郷ではなく、見知らぬ新興住宅地のようなところなのだ。

 原発による被災地よりは希望があるものの、大津波による被災地も、別の意味でやはり「帰還困難」なのかと、胸ふたがる思いがした。

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2016.05.04

■リコールに応じるべきかなあ・・・

 iPhone 6 Plus で撮った写真をそのままアップロードしていましたが、明らかにどこにもピントが来ていない写真が複数ありました。
 お目汚し申し訳ありません。

 私のiPhoneは、「ごく一部の iPhone 6 Plus で、iSight カメラのコンポーネントの一部が故障し、撮影した写真がぼやけて見える場合があることが判明」(apple.com)した、リコール該当機種です。
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 何が「ごく一部」だよ、ほんとに。

 やっぱり交換してもらうべきかなあ・・・ めんどくさいけど。

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2016.05.03

■鳥海山と菜の花

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■残雪の岩手山

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2016.05.02

■営み@大槌町

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■モニュメントとなっている「奇跡の一本松」

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■急ぐ旅じゃない

目的地もない。

出発して4日目。やっと違う時間が流れはじめた。

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2016.05.01

■「帰還困難区域」

 福島第一原子力発電所の事故後に設定された「帰還困難区域」は、立入禁止になっていたり通行許可が必要だったりする一部の(広大な)地域を除いて、一般人は四輪車でのみ通行が許されるようになっている。
 二輪車や人は通ることができない。生身の体が放射線に曝されるのを避けるためだ。

 うち捨てられた、というより、捨てることを余儀なくされた家家家家家、店店店店、車車車・・・

 放射線値は低くない。

 測定限界以下を示す 0.05 以外はあまり見ることのないシンチレーションカウンターが、福島第一原発北西の国道6号線では、2.05 μSv/h を示した。
 すべて閉めきった車の中でその数値である。それがどれほど危険なのかはわからないが、通常値の数十倍であることは間違いない。

 走っても走っても廃墟が続く。

 特に店舗は、生活しているらしき家がちらほらと目につきだしても、一つも営業していない。やっと開いている店(セブンイレブンだ)を見つけたときには、2.05 μSv/h 地点から北へ20km以上走っていた。
 南側はもう少しマシなのだろうか。もし同じ距離だとすると、40km以上にわたって店がないことになる。

 そういえば、「原発から半径20km以内の地域では」という言い回しをよく目や耳にする。その範囲内にも「帰還困難区域」より放射線量の低い「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」があるが、商店に関していえば、ほとんど営業していないのではないかと思う。たぶんゼロではないだろうか。

 国道6号線沿いに、もし40kmにわたって店がないとすると、その距離はほとんど京都−大阪間に匹敵する。関東でいえば、東京−鎌倉間だ。
 それら2つの都市を結ぶ直線に近い国道があったとして、その沿線に存在するすべての店舗が(そしてほとんどの家屋が)廃墟となっているさまを想像してみてほしい。
 もちろん、数としては現実の関西や関東より建物も人口もはるかに少ない(かった)ものの、その距離には慄然とせざるをえない。その間廃墟が続くというのは、文字通り「想像を絶する」のではないだろうか。

 原発被害については、飽きっぽいマスコミも腰を入れて報道を続けている。それをそれなりに見聞きしていても、現実がこうだという感覚は、私の中には形成されていなかった。

 ああ、またしても、自身の想像力のなさを嘆かざるをえない。こうして実際に現場を走ってみなければ、やはりその凄さを(たとえその一部でも)感じることはできなかったのである。

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■この桜へも「帰還困難」

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