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2016.10.30

◆官能の一眼レフに想う

 思い切って、分不相応な一眼レフを購入した。

 つい先日まで、数分の一の値段のコンパクトカメラを買うつもりでいた。

 だが、手にして撮影する機会があったカメラに魅せられてしまい、その一週間後には買ってしまっていた。まんまとメーカーの戦略に乗せられたわけである。
 もっとも、2年前から欲しいカメラではあったのだが(あ、これでばれてしまいますね。EOS 7D Mark II です、はい)。
 
 一方、十数年前から気になっていて、同じく2年前のモデルチェンジから本格的に欲しくなった本命のレンズ(EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM)は重すぎてダメで、次善の策を模索している。

 本命ですら野鳥撮影には厳しいので、次善のレンズではよけい無理なのだが、さて、どうなることやら。
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 コンパクトにせず一眼レフにした理由は、オートフォーカスの素晴らしさと連続撮影の能力に惹かれたからだと一応は言える。
 飛んでいる鳥を撮りたいというのが一番の動機だ。

 だが、吝嗇な私の背中を押したのは、そういう実質的な機能ではない。

 最終的に購入することを決めた理由は、間違いなく、そのレリーズ音だった。

 写真なんか撮らなくても、レンズをあちこちに向けてシャッターを切っていれば、耳に心地よいリズミカルな音を聞いていられる。
 カメラの寿命が縮みそうでなかなかできないが、記録媒体のSDカードを抜いて、何も撮らずにカメラの奏でる音に酔っていたいくらいだ。
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 以前の私はこうではなかった。

 スペック重視、機能至上主義。
 今でもその性癖は残っているものの、明らかにその傾向は減じてきている。

 思えば、15年前に買った車も、最後の決め手は「ドアの閉まる音」だった。
 しかし、そのときはまだ、スペックにこだわり、できる範囲で最上を求めていた。

 2年ほど前に買った今の車は、明らかに前車より格下で、能力も機能も劣る車である。
 「いつかはクラウン」(古いな)というような価値観とは以前から無縁だが、それでも、われながらオトナの選択ができるようになったなあと思わないでもない。

 購入の決め手は、やはり官能であった。うまく表現できなくてもどかしいのだが、いわば「ソリッドな軽快さ」がもっとも優れていたのが今の車だった。
 ドアの閉まる音では負けているが、それも気にならないフットワークとハンドリングだ。
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 官能の話になると、今は亡き年長の仕事仲間を思い出す。

 パソコンやプログラミングにまで官能を求め、それにこだわる姿は、もうひとつ理解できなかったが、今なら少しはわかる気がするのだ。

 「やっぱりパソコンも官能ですよねぇ」
 「おお、お前にもやっとわかるようになってきたか」

 そんな会話がもはや不可能なことが心に刺さる。

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2016.10.24

◆遠い記憶

 ↓を書いていて、ボローニャのことが気になった。

 イタリア雑貨カフェのオーナーがボローニャに留学していたというのを聞いて、ああ、ボローニャなら行ったことがあるなあと思い、具体的な名所や風景も頭に浮かんでいた。

 こんなところに車が入っていいのかというような歴史的建造物群に囲まれた街の中心地にあるホテルに泊まり、歩いて近くのアレーナ(ローマのコロッセオのような円形闘技場)なんかに行ったのを鮮明に覚えている。

 あれはボローニャのどの辺だったっけ? すぐ近くに泊まったホテルもあるよなあ・・・と思って Google Map を見るが、アレーナがまったく見当たらない。

 そんな馬鹿なと思いながら航空写真にしたりして探すが、徒労である。

 イタリアには3回しか行っていないはずだ。1度目は家族で、2度目は両親も連れて、3度目は出張である。

 ボローニャに行ったときは両親はいなかったから・・・と当時の旅行メモを引っ張り出して見ると、なんと、ボローニャには立ち寄った形跡すらない。

 まさかと思って両親も連れて行った年のメモを見ると、ボローニャという単語は出てくるが、街の記述はない。

 要するに、フィレンツェからベネチアへ行くときに通過しただけに過ぎなかった。ボローニャまではカーブの多い道路で、そこを過ぎるとまっすぐだったとか書いてある。
 また、到着したベネチアのホテルの名前もなぜかボローニャで、そこには2年連続で泊まっている。

 通過とホテル名でボローニャに行った気になっていたのか・・・

 では、あの記憶の街はどこなのだと調べると、その前の年、モナコからベネチアへ向かう途中で泊まったベローナであった(ちなみに、泊まったホテルの名前はミラノである。なんでそんなややこしい名前をつけるんだろう)。

 イタリア雑貨カフェのオーナーと会話する以前から、ベローナなんて地名は頭の中からすっかり消え、あの素敵な街は完全にボローニャになってしまっていたようだ。


 記憶なんてあてにならないものである。でも、こんなことから思い出をたどれたのは悪くない。

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◆食べ物屋の消長

 食べ物屋さんの消長についてはここでも何度か書いた。

 だが、また書きたくなったので、ちょっと手短に(書けるかな)。
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 先日、例によって「さあお昼をどうしよう」という状態になり、ふと思い出して2〜3度行ったイタリアンを目指した。
 到着すると、ビルは外壁の?工事中で、店はもぬけの殻。工事中は営業していないという感じではなく、廃業したようだ。

 すぐ近くに、以前は気づかなかったイタリア国旗の店があったので、そこで昼食。雑貨とカフェだが、ランチもちょっとやってますという感じの店。
 客は私だけで、なんとなくオーナー?の女性と話をすると、イタリア好きが昂じてこうなってしまったとのこと。美術関係でボローニャに留学していたこともあるという。お店を開いて1年ちょっと。

 「よくやっていけますねぇ」とはもちろん言わなかったが、つぶれたイタリアンのことを聞いてみると、もう3か月ほど前に閉めたらしい。食べログなんかで見ると、まだ「新規開店」みたいな情報が出ている。できて3年くらいしか経っていないのだ。

 それなりにおいしかったし賑わっていたのに、どうしてなんだろう。逆に、ランチタイムに終始わたしだけしかいなかったイタリア好きシニョーラの店に、2周年は来るのだろうか。
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 また先日、誕生祝いで久しぶりにフレンチに出かけた。たぶん、一度だけランチに来た店で、おいしかったからディナーにも来てみたのだ。
 まだ新しい店で、関西では有名な食べ物ブロガーが「すぐに予約の取れない店になるのではないか」というほどのレストランである。

 だが、週末だというのに、客はうちの家族3人だけ。あのあと入るとも思えないので、もし私が気紛れでこの店に決めなければ、週末の夜、14席に対して客はゼロだったということになる。「予約の取れない店」??

 スープはないが、フルコースで税別5千円を切っており、味も間違いなくよい。駅徒歩5分でもある。

 店内も綺麗でオシャレなのだが、まあ確かに、晴れの日のディナーという感じの店ではない。
 具体的に言うと、おしぼりは使い捨ての紙で、ナプキンはなし。食べ終わったナイフとフォークは横に置いて次の料理にも使う。テーブルクロスは cloth ではなく、汚れても拭けばすむようにビニール?コーティングしてある。

 いや、別にだからといってまったく不満はない。むしろ、リーズナブルな価格でおいしいフレンチが食べられるのだから、私としては歓迎する。
 でも、しょっちゅう行けるわけではないので、売り上げに貢献できないのがもどかしい。

 やはり、はやる店は「とっても高いかすごく安いか」であるようだ。こういう「ちょっといいレストラン」は苦戦する。
 なんとか踏みとどまってほしい。

 ※調べてみると、ディナーでも一度訪れたことがあった。日記に「おいしい。最高の部類かも」と書いてある。それなのに・・・
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 近々行く、個人的には北摂(大阪北部)で一番おいしいと思っている鮨屋。その店も、同じ理由で、楽に回っているとはいいがたい。
 小綺麗でオシャレでおいしいのだが、超高級という感じではない。もちろん、安くはない。
 高くもなくてコストパフォーマンスはいいのだが、店主は苦労が絶えないようだ。

 もう一つ別の、高級感を売りにした寿司屋は、私から見るとちょっと落ちるのだが、いつも繁盛している。
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 最後に、平日のお昼に行った山里の蕎麦屋。近くの街から車で30分以上かかる山間部にある。

 にもかかわらず、12時45分には、もう蕎麦がなくなったといって打ち止め。
 表には「平日は30人前」と書いてあるので、客単価1500円として昼一回で4万5千円の売り上げだ。

 蕎麦は確かにおいしいが、特筆するようなものではない。天ぷらの海老は密度の低い貧相なものだ(が、価格を考えると相応かもしれない)。

 それでも、びっくりするくらいはやっている。
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 食べ物屋はほんとに難しくて不思議だ。

 毎日がんばっている料理人たちには(兼経営者には特に)心からの敬意を覚える。

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2016.10.10

◆アイスランド写真集

 アイスランドで遊びほうけていたツケが回ってきて、帰国後は体調を崩していたし、その間もその後も、後回しにしていた仕事に追われて余裕がなかった。

 なんというか、家人も息子も先憂後楽タイプで、嫌なことはさっさと済ませるのが当然だとかいうのだが、私はまったく逆で、とにかく、「明日できることは今日するな」というポリシーである。

 その意味ではイタリア人のようだ。

 違うのは、そう言いながら、「しなければならないこと」や「すべきこと」がずっと重荷になっていて、せっかくの楽しみも先の憂鬱にスポイルされてしまう点である。

 ここにも何度か書いているが、海外にバカンスに出かける時には、向こうでのことを考えてわくわくするよりも、帰ってきてからのことを考えてウンザリしているのが常である。
 鬱陶しい奴だ。

 そうは言っても、海外滞在中はさすがに気分が軽くなる。
 向こうではまた向こうなりの(多くは取り越し)苦労があるのだが、日本の憂いはまあ、できるだけ日本に置いていく。

 話が逸れた。

 この連休も仕事して、やっと、写真をいくつかアップできる余裕ができたので、←にアルバムを作成した(サムネイル写真はクリックで拡大します)。
 最初の1枚だけ日本、最後の何枚か(11枚ですね。アイスランドには一切ない、電車が写っているところからです)はフィンランドのヘルシンキだが、後はすべてアイスランドである。

 ご笑覧くださればとってもありがたい。

 真夏にでかけたと思っていたのに、気がつけば秋の冷え込みがやってきている。ほんとに早いものだ。

 まあ、アイスランドはもっと寒かったけど。

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2016.10.01

◆はじめての docomo ?

 最初の携帯はたぶんツーカーだったと思う。いや、待てよ、J-Phone とかいうのもあったような気がする。

 息子が小学校に入学し、一人で動く可能性が出てきたときに、夫婦間や学校との連絡が取れるようにと初めて携帯電話を持った(それまでは保育所通いで、常に大人とべったりだった)。
 まあ、結局ほとんど使わなかったけれど、それはむしろラッキーだったということだろう。
 (あ、ずっと後で、息子が高校生の時、初めて学校から携帯に電話がかかってきた。階段で転倒して歯を折った時だった。)

 その後、ソフトバンク、auと乗り換えてきて、docomo とはまったく縁がなかった。

 が、今回、SIM フリーの iPhone 7 Plus を買って、auから MVNO(仮想移動体通信事業者=いわゆる「格安SIM」)に切り替えた。

 docomo の回線を使う方式を選択したのだが、 iPhone の画面の左上に docomo と表示されるとは思っていなかった。これではまるで docomo の携帯みたいじゃないか。

 無事開通し、電話もテザリングも大丈夫そうである。

 毎月3GBの制限があるが、これまでの実績では2GB程度だし、使い残した分は翌月に繰り越せるので、不足するようなことはまずあるまい。
 万一不足しても、いろんな仕組みで大丈夫なようになっている。

 緊急電話さえ諦めれば、毎月1000円ほどで運用できたのだが、人生でほとんどかけたことのない 110番や119番をかけられるようにすると、1600円(税別)になった(携帯電話を持っているのに緊急電話がかけられないというのは、ちょっと受け入れられない)。

 それでもまさに、「格安」である。

 これで、スピードはともかく、docomo の通信網をフルに使えるのだから、ほぼ欠点はないと言っていい。

 息子の iPhone 6 Plus も、2年縛りの違約金を支払っても、MVNOに乗り換えた方がはるかに安いので、今月中に乗り換えることにした。

 みなさまもぜひ ^^;

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