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2020.03.29

●縁

 息子が就職してひとり暮らしを始める。

 わりと近くだし、荷物も多くないので、引っ越しという感じではない。

 それでも、それなりに運ぶものはもちろんある。大物としては、新しく購入した組み立て式のテーブルと、家にあったタンスだ。
 ものを運ぶのに適した車は持っていないので、一度に運ぶことができない。
 それどころか、テーブルもタンスも、あと数センチ大きかったら単独でも運べない大きさであった。

 ともあれ、自分たちで運べないものはなかったので、何度か往復することになった。

 そうすると、向こうで外食することになり、最初はサイゼリヤ、3回目はコンビニで買ったおにぎりだったが、おいしそうなレストランも調べて、出かけてみた。

 見つけたのはフレンチとイタリアンが2つずつ。
 そのうち1つずつにはまだ行っていないが、フレンチのほうはもう予約した。
 あと、意外にも、高級な和食の店がひとつあった(もちろんまだだ)。

 田舎なので、いい店がそんなにあるわけではない。
 市役所を辞めなければ、息子は今後数十年にわたって近辺に住むことになるので、私たち夫婦にも、また同じ店を訪れる機会があるだろう。
 イタリアンにはたまに、フレンチにも何回かは行くことになると思う。
 もし結婚するとか言い出したら、高級和食か(笑)
 ___

 これまでに行った2つの店は、どちらも感じのいい店であった。
 フレンチはご夫婦と息子さん?で、イタリアンは一人でやっていらした。

 息子がこの市に就職することがなければ、まず絶対に来なかった店である。
 受験したきっかけはひょんな偶然だし、(おそらく)のべ30以上(訂正:確実に50以上だそうです)の市町村!を受けて、唯一合格したのがこの市なのだ。

 料理をいただきながら、「こんなことでもなければ、この店には一生こなかっただろうなあ」というようなことばかり考えていた。

 いやほんとに、たとえばパリの裏街にある小さなビストロとかの方が、この店に来る可能性よりはよほど高かったと思う。
 それでも、現実にこの店に来たのだ。
 そして、これからもたぶん、たまには行くことになる。

 縁というほどの縁ではないのだが、こういうことがあると、これまでにいただいた縁というものをあらためて考えさせられることになった。

 私のような者でも、いくつかは素晴らしいご縁に恵まれてきているのだ。

 ♪縁ある人 万里の 道を越えて 引き合うもの
 ♪縁なき人 顔を合わせ すべもなく すれ違う

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2020.03.17

●親離れ子離れの春

 ご無沙汰しております。

「マクロに見れば」、新型コロナウイルスよりも経済的ダメージの方が大問題となりそうな(すでになっている)2019年度末です。

 息子は相変わらず、左右の頬にドングリをためこんだリスのような顔をしていますが、少しずつ食べられるものも増えてきて、年度が明けて就職するころには、まずまずふつうの生活ができるようになっていることと思います。

 今日は何とか、時間をかけてラーメンと餃子を完食しました。
 ひとごとながらご休心ください。

 その息子ですが、就職先に家から通うと2時間かかる、8時30分に始業らしいので15分までに着こうとすると家を出るのが6時15分、出るまで時間がかかるタイプなので起きるのは5時すぎ・・・ということで、職場の近くでひとり暮らしを始めることになりました。
 もっとも、面接の時に「必ずここに住んで地域に奉仕します!」みたいなことを言っているらしいので、いずれにせよ公約?違反にならないためにもそうする必要がありました。

 ふと思ったのですが、地方自治体の職員というのは、ほとんどが当該自治体に居住しているのでしょうか。
 それで仕事は身近になる反面、視野が狭くなりすぎたりしないのだろうかとちょっと心配になります。

 以前、知り合いの複数の市役所職員が、電話番号を他人に伝えるときに市外局番を言わない、場所を小学校区で表現する、という、他市に居住する者から見るとびっくりする習慣があるのに接し、大丈夫か?と思ったのを思い出しました。

 生まれてからずっとその市に住んでいる、卒業した大学すら市内にある・・・みたいな職員がけっこういるのですが、そういう環境ならなおさら、意識して視野を外に向けないといけませんよね。

 それはともかく・・・

 大学院を修了してから2年も就職浪人をしていたので、息子ももはや20代後半です。
 過保護な親と依存心の強い息子の組み合わせですが、やっと半強制的に親離れ子離れのできる状態になりました。

 「採用試験に最終合格」したものの、内定が出るのが遅くて出遅れたせいもあり、どうなることかと思いましたが、比較的新しくてきれいな最後の物件(1K)をぎりぎりでおさえることができ、8時に家を出れば余裕で間に合う状態になりました。

 電器製品の品不足を危惧していましたが、まず電子レンジを購入し、なんとか冷蔵庫と洗濯機も手配して、月末にはひとり暮らしを始め、4月1日から地方公務員として勤務を開始することになります。

 生まれてから現在までの全体はとても短く感じますが、就職浪人の2年間は先の見えない長い日々が続いていました。

 世の中はたいへんな状況ながら、野山や街角にも種々の花が咲き始め、いつものように春がやってきます。
 ニュースに接しなければ、ごくありふれた春です。

 しかし、われわれにとっては、四半世紀以上ぶりの親離れ子離れの春となります。

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