●いつもとは違う通夜
先日、父親が入院したあと、いちど病院と実家へ行ってもろもろの用事を片付けた帰り、兄から電話がかかってきたのを車の中で受けた(ハンズフリーです)。
父親の退院後の生活について相談していると、兄が「○○も末期がんやし、どっちが早いかわからんなあ」というようなことを口走った。
「え? だれが末期がんやて?」
「○○や」
義姉、つまり、兄の配偶者である。私と同い年だ。
10年以上前に乳がんを発症し、その後も完治とはいかないらしいのは知っていたが、まさか末期だとは知らなかった。
その2か月ほど前には、遠方から母の四十九日に元気に?来てくれていたのである。
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きょう、その義姉の通夜を終えた。明日は告別式だ。
こんなに若い身内を見送るのは初めてである。
いつもの(まあ順番だから仕方ないよね)感を伴う親戚の集まりではなく、「もっとええことで会えたらよかったのになあ」という定番の軽口をたたく者もいない。
残された長女が弔辞を読むに至って、葬儀場にはすすり泣きの音がいつにも増して響きわたる。
現役世代なので、親類ではない弔問客も後を絶たない。
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理不尽な死である。なにせ、娘を見送る母親が通夜に来ているのだ。
今年に入って、うちの母親と義姉が亡くなった。父親だって年を越えられるかどうかわからない。
死だとか生だとかについて、以前にも増して考えるようになった。
死生観というような大げさなことではないが、なんかそういうものも変化しつつある。
死者はむろん、何も語らない。
生きている者が、語りかけられたように感じるだけだ。
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