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2024.09.05

■働くおじさん

 その昔、「はたらくおじさん」という教育番組がNHKで放送されていた。
 今でもやってるのかな?
 似たような番組ならあるかもしれないが、今ならそのタイトルで放送することは不可能だろう。おばさんだって働いていることを度外視してつけられた番組名が時代を感じさせる。

 急に「はたらくおじさん」を思い出したのは、昨日まで2泊したホテルの経営者が、絵に描いたような「働くおじさん」だったからだ。
 とにかく笑顔で細部にまで気を配りつつ、ずっと立ち働いている。近所の人?や泊まり客との会話も、楽しそうに自然にこなしている。もはや、ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた。

 このホテルが、今回のポルトガル(+スペイン)旅行で泊まる唯一の「ふつうの」ホテルなのだが、その建物の外観や部屋の様子から、ちょっときれいなビジネスホテル的なものを想像していた。フロントには若い男女がひとりずつならび、ビジネスライクにチェックインの手続きをするようなイメージだ。

 ところが、出迎えてくれたのは、英語を話さないおじさんひとり。それが経営者だと後(のち)にわかるのだが、当初は「こんな現代的なホテルで英語を話さないフロントとは・・・」と、驚いたものだ。

 あとで、Google Street View の過去写真とおじさんの話からわかったところによると、もともとは家族経営のホステルで、昔よく大陸ヨーロッパの田舎でわれわれが泊まっていたようなタイプの宿だったらしい。そういうところのご主人や女将は、たしかにたいてい英語を話さなかった。
(ただ、ちょっと違うのは、ホステルの一階で大きなレストランをやっており、地元の結婚式の会場などにも使われていたということであった。)
 その建物を、新築したかのように改築し、現代的なホテルに衣替えしている。隣には伝統を引き継ぐレストランも(たぶん)新築されていたが、残念ながら利用する機会はなかった。

 さて、そのおじさんの姿を見ない時はなく、滞在中、部屋を出て下に降りると常に何かしら働いていた。
 朝食の際の食品補充や清掃のマメさは特筆もので、よくもまあ、こんなに働くなあと感心していた。
 また、車の荷物を取るために夜遅くおりていくと、フロントで何やら事務仕事をしていた。

 3日目の朝、「いつも勤勉にお仕事をなさっているようですが、お休みを取ることはあるのですか?」と、Google の翻訳を使ってフランス語で聞いてみた。
 すると、案の定、Non である。土曜も日曜も含め、だいたい毎日15時間働いているというのだ。おおげさではなく、確かにそんな感じである。人を雇ってシフトを組むこともできそうなものだが、そういうことをしそうなタイプではない。そもそもが働き者だし、細部まで自分でやっておきたい性分も見てとれた。

 そして何より、楽しく仕事をしているのだ。マメに動き回られても、本人が楽しそうだからだろう、せわしなくて落ち着かないような感じをこちらに抱かせない。
 上に「ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた」と書いたが、もっと言えば、人生そのものであるようにも見えた。
 ___

 今日は世界遺産になっているトマールの修道院を見学した。
 修道女たちがどういう生活をしていたのかは想像するしかないが、彼女たちもまた、修道院での祈りと仕事が生活そのものであり、ひいては人生そのものだったのだろうと思う。

 ひるがえって私は、けっして「働くおじさん」ではなく、ホモ・ルーデンス、つまりは「遊ぶおじさん」でありたいと思っている。間違っても、ホテルのおじさんや修道女のような生活・人生は送れない。

 だが、(内実を知らなすぎる)修道女はともかく、ホテルのおじさんに関しては、あのように働くことがすなわち「遊び」なのかもしれないとも考える。
 毎日15時間も働くのはいったい何のためなのか、と私なんかは考えてしまうのだが、働くこと自体が喜びであり遊びであり、それ自体がまさに生活であり人生なのだと、ほんの少しはわかったような気にもなる。

 近年、学校の教師の仕事がブラックだという話が人口に膾炙している。
 しかし、現在でも一部の教師はそうであるように、彼(女)らはまさに「働くおじさん(おばさん)」なのだと思う。何か別の生活や人生のために教師の仕事をしているのではなく、教師の仕事そのものが生活であり人生なのだ。そういう人たちにとっては、仕事はけっしてブラックではない。

 ややこしいのは、現代ではもはや、自律的に教師の仕事をまっとうできるような環境が滅多にないことであろう。お役所的なやらされ仕事にあふれ、教育を生活や人生にしたいようなタイプの教師すら、それができなくなっている。
 そうなってしまうと、生活であり人生であってもよかったはずの仕事が、ブラック労働に変質してしまうのである。

 まあしかし、仕事は仕事、生活は生活、休暇は休暇、遊びは遊び、人生は人生・・・というのが日本の戦後、というか、ポスト高度成長の時代では主流だろう。私もいつの間にかそういう感覚を身につけてきた。
 でももしかして、何かのきっかけやタイミングで、あの働くおじさんのように、仕事と生活と人生とが一つになっていたかもしれないという気も、ちょっとするのだ。

 それはそれで、いい人生になったかもしれない・・・けれど、やっぱり自分には無理だな😅

(※「ブラック」という形容詞の使い方には問題があると思いますが、世間の表現にあわせて使用しております。)

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