このブログのプロフィール欄にも書いているとおり、「安くておいしいランチ」を「常に探してい」る。
その20年来の彷徨についに終止符が打たれた・・・か。
「か」がつかざるをえないのは、決して安くないからである。
しかし、その価格にめげず、2週間に1回通うようになった。毎週はちょっと厳しい。
必要最低限のことにしか口を開かなかったので、最初は寡黙な職人のようなシェフ(イタリアンだけれど)だと思っていたのだが、しばらく通ううちに、常連としゃべっているのを目撃した。
その人が帰って私一人が残ったので、思い切って「無口な方(かた)かと思ってました」と言うと、「いえ、ぼく、めっちゃ しゃべり ですよ」との返事。
その後は、食べに行く度に何らかの会話をするようになった。
いろいろ話を伺ううちに、なぜこんな料理が出てくるのかだんだんわかりはじめた。
そのいちいちはここには書けないが、とにかく何もかもが、ありえないほど本気なのである。
たとえば・・・
おいしいティラミスを作るのに必要な、納得のいくマスカルポーネチーズを仕入れるのが価格面から困難になったからと、チーズそのものから手作りしている。
「さすがに今はもうできなくなりました」とは言うものの、フォンドヴォーは3週間かけて仕込むのが当たり前だと思っている。近くのホテルのフレンチですら缶詰を使っているのに。
選び抜いた素材しか仕入れず、決して手は抜かず、マンネリにも陥らない。
ランチなんだから組み立ては同じでいいと思うのだが、スープが出てきたり前菜が出てきたりする。その前菜も変幻自在だ。
私は野菜があまり好きではなく、サラダなんていうのはその存在価値をほとんど認めていなかったのだが、この店でたぶん初めて、野菜そのもののおいしさとサラダの素晴らしさに目覚めたと思う。
何よりも驚いたのは、ランチに客が私一人しかいないのに、来た客をためらいもなく断ること(完全予約制なのだ)。
「ふりのお客さんを入れて手が回らなくなり、せっかく予約してまで来ていただいたお客さんに不利益があったら申し訳ない」と言う。
「でも、もう二人くらいダメなんですか?」と聞くと、「この時代、すぐに情報が回って、近隣のカフェに入れなくてあぶれた人が次々に来るようになってしまいます」との返事。
いや、そうやって客が来る方が、ランチに私一人よりいいんじゃないかと思うのだが、「カフェにあぶれたからっていう方に来ていただくより、ぼくの料理を食べたいと思って来てくださる方を大切にしたいんです」と言う。
「でも、もしそれでやっていけなくなったら?」「そのときは引退します」
40そこそこの料理人が引退してどうするのだと思うのだが、本気なのはひしひしと伝わってくる。
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先日、懇意にしている鮨屋のマスターと、その店で一緒に食事した。
その時は幸い、けっこう賑わっていたのだが「この値段でこんな料理を出してやっていけるのか」というのが、マスターの感想だった。
私にとっては高価なランチだが、経営する側から見ると安すぎるのだそうである。
ここに場所と店名を書きたいのだが、あらゆるマスコミやネットから身を潜めている(「食べログ」に「店の記述を削除しろ」と談判すると「言論の自由ですから」と言われたと憤慨していた)シェフに申し訳ないので書けない(といいつつ、Google Maps には書かずにいられなかったけれど)。
願わくは、店が存続してほしい。存続さえしていれば、質は保障されている。
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