2020.12.15

★はじめての?商業電子出版

 Amazon が運営している Kindle ストアに、電子出版の本?を出しました

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 「よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことを・・・」というご批判は甘んじてお受けいたしますが、お許しくだされば幸いです。

 きっかけは、コンテンツさえあれば(それがなかなかないのですが)、だれでも簡単に商業電子出版ができることをたまたま知ったことです。
 自費出版ではありませんので、お金はかかりません。むしろ、読まれれば印税が入ります。

 「え? そんなことができるの?」という方と、「え? そんなことも知らなかったの?」という方にきれいに分かれると思うのですが、私は前者でした。

 半信半疑で出版手続きを進めていくと、当初考えていた「10分で」というのはさすがに無理でしたが、まあ小一時間もあれば、何もないところから電子出版までが完了しました(実際に売り出されるまでには、審査のために30時間ほどかかりました)。

 最初(最後にならないことを祈る)として、小手試しに、すでにここに掲載していた短編小説?を選びました。

 400字詰原稿用紙換算で13枚くらいなので、ぎりぎり短編小説を名乗れるようです(小説の体をなしていればですが)。

 漫画は無料のものを出版できるのですが、それ以外は有料のものしか出せません。仕方ないので10円にしようかと思ったのですが、キンドル側の制約があり、その下限の99円で出すことにしました。
 あのお話にそんな高価な値段をつけることには忸怩たるものがありますが、しかたありません。

 面白かったのは、あくまでも商業出版なので、印税にかかる税金の申告書類を、アマゾンの本社があるアメリカの税務当局!にまで出さなければならないことです。
 もちろん、住所や氏名やマイナンバーを入れるだけで、実際の手続きはアマゾンがやってくれるのですが、アメリカに出す実際の書類ができあがったときには、「おいおい、本気でこれを提出するのかよ」と驚きました。
 アメリカへ納める税金を免除してもらうための書類であり、当然のことながら、税率は0%です。しかし、万一売れた場合、日本への税金は発生します。まあ、免税範囲を超える心配は皆無ですが。
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 仕事関係では、少ないながら、出版とは昔からそれなりに縁がありました。DTP(Desktop Publishing)や電子出版が言われはじめたころも、その現場の隅っこのほうから様子をうかがったり参加させていただいたりしていました。

 しかし、まったくのプライベートな電子書籍を、しかも商業出版の形で出すのは初めてです。もろもろの登録手続きは終わったので、次回はほんとに10分で出版することが可能です。次回があれば、ですが。

 いやあ、それにしても、自分の書いたものが最初に活字になってからン十年・・・ ほんとに、「思えば遠くへ来たもんだ」ですね。

 『ちびまる子ちゃん』の さくらももこ は、エッセイストになるために漫画家になったそうですが、私はエッセイストになるために小説家になりたかったのです(ならべるなよ)。

 小説家もエッセイストも99%諦めておりましたが、誰も読まなくてよいならば、著書数十冊?のエッセイスト(小説家は無理)になれる可能性が出てきました。
 時代がやっと、私に追いついてきたのかもしれません(笑)

 次はどうしよう・・・と思いながら、次がないのがこれまでの私の人生ですが、もしかすると次があるかもと、ほんの少し、明るい気分になりました。

 ありがとう Amazon、ありがとう Kindle。

 「できるだけアマゾン不買運動」は、本日をもって(いったん?)終了させていただきます。

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 なお、今回上梓した(というより「上雲」した)「本」は、間違ってもお求めにならないでください。
 商業電子出版が本当にそんなに簡単にできるのかを実際に試してみた結果に過ぎませんし、かつてここで公表した文章でもあります。もちろん、価格相応の価値もありません。

 ただし、Kindle Unlimited をご契約の方は無料でダウンロードできますので、知り合いのよしみでちらっとでもご笑覧賜れれば幸いです。
 なお、それ以外の方にも(恥ずかしげもなく)ご披露できるように、来週あたり、クリスマスセールとして無料でダウンロードできる期間を設けたいと思います(ほんとはずっと無料にしたいのですが、Kindle 側の都合で、それは叶いません)。設定が終わりましたら、ここかツイッターに書きこみます。よろしくお願いいたします。

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2020.10.04

◆陸海空を制覇?しようかな

 先日、自動車の合宿免許取得がGoToトラベルキャンペーンの対象になることをネットで知った。
 どうせ取るならこの機会に取るといいなあ・・・と思ったが、取りたい自動車免許はもはやない。

 残念に思っていると、ニュース番組で船舶免許も対象であることを知った。そりゃそうでしょうね。
 でも、船舶免許を取ろうなどと思ったことはほとんどない(弟が持っているため、ちらっとは考えたことがある)ので、思いつかなかった。

 調べると、飛行機で沖縄まで行って取っても、ふだん淡路島で取るより安い感じだ。

 でもなあ・・・免許だけあっても、船がなければどうしようもない。
 今だって、免許はあっても飛行機がないからどうしようもないのだ。

 まあ、飛行機は将来、アメリカとかハワイとかグアムなんかで(ぜんぶアメリカですね・・・)インストラクターを横に乗せて借りて飛ぶとかを考えている(カナダやヨーロッパもいいなあ)。

 船だって借りられないこともあるまい。

 それに、免許なんか使う予定はなくても、沖縄に体験型の観光旅行に行ったと思えば、何とか許せる金額である。

 うん、その考え方はちょっと魅力的だ。

 日本中、わりとどこに行ってももはや感動はほとんどなく、車で走り回って帰ってくるだけの旅行でも何万円もかかってしまう。

 それに!、船舶免許をとれば、自動車・二輪車・飛行機・ダイビング・船と、陸海空を制覇?したことにもなる。
 そんなしょーもないことにちょっとした価値を見いだす愚かな男であってみれば、あながち真面目に考えないこともない。

 どうしようかなあ・・・ 面倒くさいし、その価値があるかなあ・・・

 行けるとすれば連休に絡めてしかないのだが、幸か不幸か、すでにまとめて有休を取っている。

 連休で混んでいるから無理だろうか。
 だとすると、予約が取れなければ縁がなかったと思って諦める、取れれば行く・・・というのもいい。

 こういうどうでもいいような小さな運を、天に任せるのはけっこう好きなのである。

 あ、船酔いするんですが、それは・・・

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2019.04.20

★全47都道府県踏破(予定)

 いつまでもトップに辛気くさい書き込みが残っているのも何なので、ちょっと前向き?な話題を。

 ふつうの人よりはたぶん旅行好きで車やバイクも好きなので、20歳のころからは日本全国あちこちに足を伸ばしていた。

 それまでも親や兄に連れられたりして特に信州などには出かけていたのだが、北海道や四国・九州にも、広島より向こうへも東京より向こうへも行ったことがなかった(厳密には四国の琴平や広島の宮島、山口の秋芳洞などを訪れているが、物心つく前で記憶がない)

 だが、オトナになった後はさっさと四国や九州を一周し、中国地方にも時々出かけたりしていた。20代前半で北海道にも行った。
 北関東や東北、沖縄は遅くなったが、それでも、30代のうちには東北全県も沖縄も訪れることができた。

 その時点で、残ったのは千葉と茨城だけであった。

 千葉の方は、20歳のときに初めて1人でヨーロッパに出かけた際、乗り継ぎで成田空港に立ち寄ったのだが、それはノーカウントということにしていた。
 しかし、また別の機会(たぶん、カナダに行ったときだったと思う)に羽田から成田までバスで移動したので、これならまあ、千葉県に行ったことがあると言ってもいい気がした。

 残るは茨城だけである。

 2011年以降、毎年のようにゴールデンウィークには東北を一周しているので、茨城に寄るのはとても簡単なことである。実際、県境の福島県いわき市などにも行ったことがある。

 でもむしろ、「茨城だけには行ったことがない」という状態を楽しんでいた。
 特に機会がなければこれからも行かないようにしようと思っていたし、もし機会があってもなるべく行くのを避けようと考えていた。
 最後に一つ残ったごちそう・・・というほどの魅力がある県だとも思えないのだが(すみません)、現実に残ってしまった以上、それをそっとしておきたい気持ちがあったのだ。

 それが、ひょんなことから来月行くことになった。どこにどんなきっかけが転がっているかわからない。これで、全47都道府県を踏破したことになる。
 嬉しいような寂しいような・・・

 ただ・・・

 クルマやバイクを自分で運転して走ったことのない都道府県としては、相変わらず千葉と茨城が残る。
 そういう残り方に意味があるのかどうかはわからないけれど、こうなったらいつかクルマで出かけて、全都道府県走破も達成したい。

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2019.04.13

★それぞれの不幸

Img_6700 糖尿病を患い、脳梗塞の後遺症に悩まされながら肝臓がんを生き延び、腰椎を圧迫骨折してパーキンソン症候群でもある母親が、また入院したというので、先日見舞いに行ってきた。

 今度は肝性脳症とやらで、血中のアンモニア濃度が高くなりすぎて意識朦朧となったという。それとは別に、肋骨も3本折れているらしい。
 当初は意識不明に近かったというのだが、訪れたときにはすぐに私を認識し、「あんたどこから来たん?」に始まる会話も一応成立して、ひと安心した。

 だが、ベッド脇には導尿のバッグがぶら下がっている。大の方はオムツだということが後にわかった。

 しかも、譫妄というのだろうか、被害妄想のようなものがあって、会話は成立するものの、とても正常とは言えない。
 それでもまあ、話ができるまでには回復しているということのようであった。

 そんな状態の母親を退院させる方向へ持っていきたい病院といろいろやり取りして、夕方には医師と話をすることもでき、もう1週間様子を見ることにしてもらった。
 肝硬変がかなり進んでおり、新しく処方されたパーキンソン症候群の薬がうまく代謝できなくて、成分の血中濃度が上がりすぎたのではないか、というのが医師の見立てであった。

 「さあ、帰ろか」と訳のわからないことを言う母親に、「何を言うてんねや、帰れるわけないやろ」とマジギレする父親。
 あとで、「認知症の症状に逆らってはいけない。「そうやなあ、帰りたいやろなあ。わしも帰らしてやりたいんやけどなあ」とでも共感的に言っておけばよいのだ」というようなことを話す。

 でも、父親の方が母親と対等に向き合っているような気がして、少し後ろめたかった。
 なんといっても、介護しているのは90歳に近い父親で、こちらは無責任な傍観者に過ぎないのだ。少なくとも今のところは。
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 その夜も次の夜も、義母から定時連絡があった。

 一年ほど前に夫(私から見ると義父)が入院してからひとり暮らしになり、孤独死して発見されないことを恐れて、生存証明のために毎日家人に電話してくる。

 昨年末に夫を亡くしてからは、以前にも増して厭世的になった。「何もすることがない。テレビ見て寝るだけや。長生きしすぎた。生きててもしょうがない。」

 だが、その義母は、いろいろ体の不調を抱えているとはいえ、まだ一人で買い物にも行けるし、身の回りのことも自分でできるのである。

 ただ、かつてのように俳句や俳画や韓流ドラマを楽しんだりする余裕は、もうどこにもない。
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 私は今日、京北に桜を見に出かけた。なんということのない年中行事だが、考えてみれば幸せなことである。

 毎年訪れている欝櫻寺で写真を撮っていると、車が1台やってきて、歩くのもやっとという感じの老人が、女性2人に両脇を抱えられて、寺の中へ入っていった。
 後に続く奥さんが問わず語りにいろいろ話してくれる。

 それによると、老人は元大工の棟梁で、この欝櫻寺も建てたのだという。ダムの底に沈んだ集落がこのあたりに移転しており、このお寺も移築されたものだということを初めて知った。
 「この辺のおうちもいくつも建てたんですけどねぇ。今はもうあない(ああ)なってしもて施設に入ってるんですけど、今日は嫁と娘にこないして連れてきてもらいましてん。あないなってしまうと、もうほんまにあきませんなあ・・・」
 「大変ですねぇ。うちも母親が入院してまして・・・」
 「入院やったらよろしいがな。施設に入らなあかんようになったら、もうほんまに・・・」

 「いや、まだ何とか歩けて桜が愛でられるのだからいいじゃありませんか。うちの母親は車椅子に乗せても病棟の4階から出してもらえませんでしたよ。」などとは、もちろん言わない。
 そういうふうに思ったわけでもない。

 ご老人は、枝垂れ桜の下に座って上機嫌で歌っていた。若い2人がはしゃぎながら交替で一緒に写真を撮っている。
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 状況は違うが、みなそれぞれに不幸である。そしてまた、それぞれに幸福だとも言える。
 だれがより不幸か幸福か・・・などと考えてみても、詮のないことだ。

 「生老病死」とはよく言ったものだなあと思う。だれもがその四苦を抱えている。

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2019.02.23

◆羨ましい神経の太さ

 ほぼ満車のコンビニ駐車場。私が車を駐めた時点で、入口前にある車椅子マークの広い区画だけが空いていたと思う。

 そこに、小さな原付スクーターを駐める中年の女性。スタスタと店の中へ入っていく。

 私は、ガラガラの駐車場でなければ、大型バイクでもふつうの車の区画にすら駐めない。それなりに苦労するのだが、何とか邪魔にならない場所を探して、区画を占有しないように毎回気を遣っている。それが当たり前だと思う。

 なのに、どこにでも駐められそうな小さな原付を、車椅子マークの区画にデンッと・・・

 あれくらい太い神経で人生を過ごすと、どんなメリット・デメリットがあるんだろう。

 ともかくストレスは少ないだろうなあ・・・ 羨ましい神経の太さである。

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2019.01.28

■初めてのパンク

 初めて免許を取ってから、自動車やバイクあわせて50万km(地球12.5周!)以上は走っていると思うのだが、一度もパンクしたことがなかった。

 昔は車に必ず積まれていたスペアタイヤも、フルサイズからテンポラリータイヤに変わったなあと思っていたら、もはや搭載しないのが標準となっている。私の車にも積まれていない。
 それほどパンクが少ないということだ。

 わりとまめにタイヤの空気をチェックする方なので、左後輪だけちょっと減りが早いのが気になっていた。
 最初は何かの間違いか、気のせいかとも思ったが、念のため給油を早めて2週間後にガソリンスタンドでチェックすると、やはり左後輪だけ少し減っている。残り3輪より 0.2 kPa くらいのことなのだが、それが3回も続くとさすがにおかしいのはわかる。
 少しずつ空気が漏れる、いわゆるスローパンクチャーというやつかもしれないと思った。

 ちょうど1年点検が来たので、その旨ディーラーに言うと、案の定というか、パンクしていたという。
 バルブからの空気漏れとか、でなければ何かもっと神秘的?な理由かと思っていたのだが、なんと釘が刺さっていたそうだ。
 子細に点検しなかったことをちょっと後悔した。

 まさか、釘が刺さっていてもあんなにゆっくりしか空気が抜けないとは・・・
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 パンクとは関係ないが、以前乗っていた車で、エンジンルームからの異音に気づきながら、その後しばらくして起こったメジャーな故障を防げなかったことがある。整備士にも見てもらって、音を聴いてもらっていたのに、その時はあまり再現せず、「様子を見てください」と言われていたのだ。

 自分の車を一番よく知っているのは、いつも乗っている自分自身である。

 今後はさらに気をつけようと思う。

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2018.12.24

★走り納め?

 三連休最後の午後、リビングに座っていると背中からぽかぽかと暖かいので、1か月ぶりにバイクで走りに行くことにした。

 とはいっても、スタートできたのが2時22分、5時前には日が暮れる。

 息子がミカンを欲しがっていたので、とりあえず豊能町の志野の里を目指す。
 30分余で到着するが、ミカンだけ買ってそこで引き返そうかと考えていた。

 ところが、店が閉まっている。
 「毎週土・日9時オープン」というのは文字通りで、振替休日といえども開けないのか・・・

 仕方なしに北へ向かい、何となく気が向いて亀岡の手前で372号線へ左折。そのまま173号線の出会いまで走って南下することにする。

 しかし寒い。あのぽかぽかはどこへやら・・・

 真冬用のバイクウェアのお蔭で上半身はぜんぜん大丈夫なのだが、羽毛で保温していない下半身はかなり冷える。
 そのせいか、左足首から下が攣るというか麻痺するというか変な感じになってきて、シフトチェンジにやや支障を来す。
 173号を南下していくと、今度は右に症状が出る。

 篠山市から能勢町にかけての山中では、2℃まで気温が下がった。これより下がると路面凍結のおそれもあるし(この気温でも橋の上は微妙な感じだった)、バイクで走れるぎりぎりである。

 崖の崩れた一箇所だけまだ片側通行になっていたが、実に久しぶりに173号が能勢まで開通していた。

 いつもならノンストップで帰るのだが、この状態では・・・というのと、まだミカンを買っていないこともあって、道の駅能勢くりの里へ。隣に駐めていた赤いクロスカブ110のおじさんが、私のバイクのメットインを見て「広い、深い」と感動してくれた。

 たくさんの野菜の中にミカンを2袋だけ見つけて1袋購入。498円(500円でいいのに)。
 トイレをすませた後、バックヤード?に迷い込んで、なかなかもとの駐車場に帰れず、こういう構造になっていたのか・・・と興味深かった。

 いつものエネオスでガソリンを入れ、日が暮れるころに何とか帰宅。
 走行距離は110kmほど。けっこう走れるものである。

 近年の習いで、まったく何もないクリスマス。久しぶりのクリスマスプレゼントだといって息子にミカンの存在を告げると、想像以上に喜んでいた。

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2018.10.08

◆せいぜい100km

 快晴と言っていい天気だったので、久しぶりにというべきか(いま調べたら8月22日以来だった)、朝からバイクで遠乗りした。

 目的地を探すのに苦労して、結局何の目論見もなく日本海に出、気になっていたイタリアンで昼食をとり(量が多すぎて値段が高すぎる)、高浜と大飯の原発があるそれぞれの半島の先端まで行ってきた。

 食事と休憩以外、ずっと走っていたが、8月より楽だったのは気温が下がったからだろう。
 外気温が20℃を切ると、ちょっと寒いくらいに感じる。

 走行距離は320km弱。朝出るのが少し遅かったとはいえ、日中ずっと走っていてもその程度だ。

 そりゃそうだろう、平均時速40km(信号や「止まれ」を考えるとそれでもけっこう大変です)でフルタイムの8時間真面目に走り続けて、やっと320kmなのだ。
 食事や休憩だって必要だから、観光らしい観光などしなくても、これで10時間以上かかってしまう。

 早朝に出るとか夜遅くまで走るとかしない限り、この辺が一つの限界なのかもしれない。体力的にもこれ以上走るのはちょっときつい。

 320kmといっても、片道だと160kmになる。道はぜんぜんまっすぐではないし、同じルートを戻ってくるわけでもないので、高速道路を使わないで日帰りで出かけられるのは、せいぜい半径100kmくらいの範囲ということになる。

 そう思って地図を見ると、8月に行った丹後半島がちょうど100km(あの時は行きに高速を使った)、琵琶湖の北端や敦賀もちょうど100kmくらいだ。先日クルマで行った豊岡の出石も100kmである。

 その辺が関の山だということを感覚的によくわかっているらしい。

 意外にも、伊勢や鳴門や赤穂が100kmのちょっと先だが、北に向かう以外だと高速の利用が必須となる。
 琵琶湖だって、少なくとも京都東I.C. までは名神に乗らないと、とても平均時速40kmでは走れない(先日、大津の岩間山に行ったときには20km/h以下で、着いたら日没だった・・・)
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 100km圏より先に足を伸ばすには、高速道路を利用するしかない。

 いや、もちろん、これまでだって使わなかったわけではないのだが、とにかく料金がものすごく高いし(たとえばシンガポールのような特殊な国を除けば世界一高い)、走っている時間が単なる修行となる。特にバイクの場合はそうだ。

 それもこれも我慢して、これからは日帰り100km圏の壁を打破すべく、高速道路をもっと積極的に使おうか。

 でも、通行料とガソリンだけで1万円も使って、そこにどんな素晴らしい目的地があるというのだろう?

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2018.07.14

●通行止めを乗り越えて?(バイク&ハイク その6)

 地震のエントリを書いてから、気がつくと3週間も過ぎている。

 確か以前、「1か月更新がなければ死んだものと思ってください」とか何とか書いたような気がするのだが、このままでは近いうちに死んだことになってしまう。
 そうならないようがんばりますので、これからもごひいきのほど、お願い申し上げます。
 あ、でも、ツイッターがあるから、それも含めて1か月ということにさせていただければ。
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 西日本の大雨が大変なことになっていて、地震は遠い彼方に行ってしまった。職場の壁のひび割れはまだそのままだし、まだ営業を再開していない店舗もいくつかあるんだけれど。

 地震の他にも、文科省の局長が裏口入学の受託収賄の疑いで検挙されるし、消毒液点滴混入大量殺人の被疑者は逮捕されるし、オウム真理教幹部の死刑は執行されるし、なんだかいろいろなことがあった。

 個人的には、今年定年退職予定の先輩が急逝なさったのもちょっとこたえた。

 そんな中、タイの洞窟に閉じ込められていた少年たちが全員助かったというのは珍しくいいニュースだった。ダイバーがお一人亡くなったのはかえすがえすも残念だけれど。
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 さて、せっかくの三連休の初日、天気もいいのだが暑くて何をする気も起きない。家でだらだらするのもなあ・・・とか、出かけても暑いしなあ・・・とかぐずぐずして、午後2時になってからバイクで六甲山に向かった。たぶん1年ぶりだ。

 山の麓からは涼しくなるのだが、宝塚までが暑い。陰になるところに取り付けている温度計は、40℃を超えていた。

Img_1545_copy 武庫川や逆瀬川には大雨の痕跡は感じられなかったが、涼しくなってくるあたりに、「注意 明石神戸宝塚線 神戸方面へは通行不可」という看板があった。

 目的地は六甲山なので気にせず進んだところ、なんと、六甲山頂や一軒茶屋のかなり手前、鉢巻山トンネルを出たところで完全に通行止めになっていた(まあ確かに六甲山上は神戸市ではあるのだが)

 担ぎ上げなければ自転車でさえ通れないような通行止めなので、素直に諦めて歩く。

Img_1533_copy 実際に車が通れないのは2kmほど先で、崩れた路肩のあたりで片側通行でもよさそうな工事をしていたが、幹線道路ではないのであっさり通行止めにしたのであろう。

 お気に入りの西おたふく山方面へ。ホトトギスが鳴いている。コジュケイを2羽見られたのは幸運だった。
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 それにしても、「神戸方面へは通行不可」の看板はひどい。

 天気のいい三連休、涼を求めた家族連れが、六甲山上を目指してやってくる。

 「神戸方面へは通行不可」であっても、この道を神戸や明石に向かうために使う酔狂な人は多くない。ほとんどは六甲山上を目指すのだ。

 久しぶりに家族でお出かけ。六甲山牧場・六甲ガーデンテラス・フィールドアスレチック・オルゴールミュージアム・高山植物園・六甲山頂・・・

 まあ、六甲山牧場だけは神戸へ降りる表六甲ドライブウェイより西にあるので、この地に馴染みのある人なら、通行止めで行けない可能性に思い至るかもしれない。
 でも、「神戸方面へは通行不可」なら、それ以外には行けると思うのがふつうではないか。

 実際には、すべて!行けないのである。車で六甲へ向かう人が期待するアトラクション?には、一つとして近づくことができない。
 それを知るためだけに、慣れないサンデードライバーは、酔って気分が悪くなり始めた後席の子どもたちを気にしながら、つづら折れの急な坂道を何キロも登らされる。そして、通行止めの看板とバリケードに、敢えなく行く手を阻まれるのだ。

 さらにまた、車酔いした子どもたちをなだめながら、今来た急カーブの続く坂道をえんえんと降りていくことを強いられる。
 助手席の奥さんは不機嫌になる。「どうして前もって調べておかないのよ !?」

 「六甲山上へは通行不可」と書いてあれば、避けられる悲劇だ。

 今この瞬間にも、涼と夜景を求めるカップルたちが、宝塚から六甲山上を目指しているに違いない。

 こんな愚かな看板を出している「神戸市建設局東部建設事務所」とやらに電話をかけて、小一時間説教してやりたいくらいである。
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 ※現在、車で六甲山上へ登れるルートは裏六甲ドライブウェイ経由のみです(2018/07/16現地確認)。それがもっとも必要な情報ですよね。お気をつけください。

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2018.03.26

●桜の季節が始まった

 子どものころは夏が好きだった。何といっても夏休みである。小学生のときは毎日のように、午前中はプールで、午後は海で泳いでいた。
 小学校高学年になってスキーに行くようになると、冬も好きになった。スキーをしなくなった今でも、雪景色や雪道ドライブは格別だ。
 高校生から大学生のころは、感傷と紅葉の秋も好きになった。ただ、環境の変化からか、かつて見たあの素晴らしい紅葉がほとんど見られなくなってきたのは残念である。
 結婚して仕事を始めてから、ようやく新緑の美しさに気付いた。

 しかし、春を好きになったのは、ずいぶん後のような気がする。春が待ち遠しいとはっきり自覚したのは、40代になってからではないだろうか。

Img_9736_copy 桜はどうだろう。

 今、思い出そうとしてみると、幼稚園に入る前の記憶がはっきりしない。今も両親が住む家に3月末に引っ越してきて、翌4月に入園したのだが、家のすぐ近くの公園の桜も、幼稚園の桜も、よく覚えている。
 それ以降、あらゆる場所で桜を見てきたし、もちろんそれなりに目を愉しませてきたのだが、人並みよりは少し醒めていたような気がする。第一、今日に至るまで、グループで飲食をともにするような花見の経験もほとんどない。

Img_9649_copy 桜の美しさに感銘を受けたのは、谷崎の『細雪』に登場する平安神宮の紅枝垂れの描写を知り、後に実際に目にしたのが最初だと思う。
 そのころから、自分が好きなのはソメイヨシノではなく、もっと色の濃い桜であることを自覚するようになった。
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 地震と津波と原発事故の後、毎年のように東北を訪れるようになったのだが、わざわざ遠くまで行く、あまたある理由のうちの一つは、こちらで散ってしまった桜を、タイムマシンのように遡ってもう一度観賞できることである

Img_9650_copy 今のバイクを買ってからは、まず紀伊半島で桜に出会い、次に近所の桜に親しみ、その後京北や湖北で桜を愛で、さらに東北へ出かけるようになった。
 紀伊半島は車の時があるし、東北へはこれまですべて車だが、ともかくも、3月下旬から5月上旬まで、ほとんど途切れることなく桜が観賞できるようになったのは素晴らしい。

 今までどうして気付いていなかったんだろう?

 いや、気付いてはいたのだ。
 仕事を辞めたら、九州を皮切りに北海道まで、ちょうど桜前線の速度に合わせて2か月近くかけて旅行しよう・・・などと考えていたのだから。
 だが、それを先取りするかのように、紀伊半島から東北だけれど、そして、週末とゴールデンウィーク程度だけれど、気がつけば実際にやってみるようになっていた・・・ということなのだ。

 桜の都合より休みの都合が優先するので、なかなか満開には出会えない。新潟県の八郎潟の桜は一度だけ満開を経験できたが、秋田県の角館の桜は一度も微笑んでくれていない。今年も早いようなので、東北の桜の多くはゴールデンウィークには散ってしまっているだろう。
 しかし、そういう年でも、標高が高いところには綺麗な桜が残っている。それに、遅咲きの品種には好みのものが多い。いつだったか、ゴールデンウィークに奈良の吉野の南に出かけ、峠で満開の桜を見て驚いたこともある。

 今、 iPhone の壁紙にしているのは、去年の今ごろ撮影した(おそらく)クマノザクラだ。今年になって新種と認定された桜である。
 今年は開花が早かったので、クマノザクラはもうほとんど散ってしまっているらしい。目立つのは、ソメイヨシノと紅枝垂れである。

 ともあれ・・・

Img_9675_copy 今年も桜の季節が始まった。今は和歌山の串本町にいるが(去年は那智勝浦にいた)、奈良の十津川村からここまで、ほとんどの桜が満開に近い姿を見せてくれた。
 いつも「出かけるところがない」と嘆いているが、少なくともゴールデンウィークまでは、あちこちに桜を求めて走り回れる。

 春も大好きになった。

(桜の写真はすべて今回の旅行で撮影したものです。)

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