◆あ、2021年6月の記事もありません
2021年6月の記事もありません。すみません。
2021年4月は、ここに何も書かないまま終わってしまいました。
ブログを始めておそらく2回目だと思います。
twitter にはよしなしごとをときおりつぶやいておりますので、ご覧くだされば幸いです。
Amazon が運営している Kindle ストアに、電子出版の本?を出しました。
「よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことを・・・」というご批判は甘んじてお受けいたしますが、お許しくだされば幸いです。
きっかけは、コンテンツさえあれば(それがなかなかないのですが)、だれでも簡単に商業電子出版ができることをたまたま知ったことです。
自費出版ではありませんので、お金はかかりません。むしろ、読まれれば印税が入ります。
「え? そんなことができるの?」という方と、「え? そんなことも知らなかったの?」という方にきれいに分かれると思うのですが、私は前者でした。
半信半疑で出版手続きを進めていくと、当初考えていた「10分で」というのはさすがに無理でしたが、まあ小一時間もあれば、何もないところから電子出版までが完了しました(実際に売り出されるまでには、審査のために30時間ほどかかりました)。
最初(最後にならないことを祈る)として、小手試しに、すでにここに掲載していた短編小説?を選びました。
400字詰原稿用紙換算で13枚くらいなので、ぎりぎり短編小説を名乗れるようです(小説の体をなしていればですが)。
漫画は無料のものを出版できるのですが、それ以外は有料のものしか出せません。仕方ないので10円にしようかと思ったのですが、キンドル側の制約があり、その下限の99円で出すことにしました。
あのお話にそんな高価な値段をつけることには忸怩たるものがありますが、しかたありません。
面白かったのは、あくまでも商業出版なので、印税にかかる税金の申告書類を、アマゾンの本社があるアメリカの税務当局!にまで出さなければならないことです。
もちろん、住所や氏名やマイナンバーを入れるだけで、実際の手続きはアマゾンがやってくれるのですが、アメリカに出す実際の書類ができあがったときには、「おいおい、本気でこれを提出するのかよ」と驚きました。
アメリカへ納める税金を免除してもらうための書類であり、当然のことながら、税率は0%です。しかし、万一売れた場合、日本への税金は発生します。まあ、免税範囲を超える心配は皆無ですが。
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仕事関係では、少ないながら、出版とは昔からそれなりに縁がありました。DTP(Desktop Publishing)や電子出版が言われはじめたころも、その現場の隅っこのほうから様子をうかがったり参加させていただいたりしていました。
しかし、まったくのプライベートな電子書籍を、しかも商業出版の形で出すのは初めてです。もろもろの登録手続きは終わったので、次回はほんとに10分で出版することが可能です。次回があれば、ですが。
いやあ、それにしても、自分の書いたものが最初に活字になってからン十年・・・ ほんとに、「思えば遠くへ来たもんだ」ですね。
『ちびまる子ちゃん』の さくらももこ は、エッセイストになるために漫画家になったそうですが、私はエッセイストになるために小説家になりたかったのです(ならべるなよ)。
小説家もエッセイストも99%諦めておりましたが、誰も読まなくてよいならば、著書数十冊?のエッセイスト(小説家は無理)になれる可能性が出てきました。
時代がやっと、私に追いついてきたのかもしれません(笑)
次はどうしよう・・・と思いながら、次がないのがこれまでの私の人生ですが、もしかすると次があるかもと、ほんの少し、明るい気分になりました。
ありがとう Amazon、ありがとう Kindle。
「できるだけアマゾン不買運動」は、本日をもって(いったん?)終了させていただきます。
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なお、今回上梓した(というより「上雲」した)「本」は、間違ってもお求めにならないでください。
商業電子出版が本当にそんなに簡単にできるのかを実際に試してみた結果に過ぎませんし、かつてここで公表した文章でもあります。もちろん、価格相応の価値もありません。
ただし、Kindle Unlimited をご契約の方は無料でダウンロードできますので、知り合いのよしみでちらっとでもご笑覧賜れれば幸いです。
なお、それ以外の方にも(恥ずかしげもなく)ご披露できるように、来週あたり、クリスマスセールとして無料でダウンロードできる期間を設けたいと思います(ほんとはずっと無料にしたいのですが、Kindle 側の都合で、それは叶いません)。設定が終わりましたら、ここかツイッターに書きこみます。よろしくお願いいたします。
「うわっ、もう5月だ」と思ったのが昨日。
夜にはニュースで「熱中症にご注意ください」とか言っていて、4月30日の晩は冬用のパジャマに羽毛布団、上から毛布まで掛けて寝たのに、いきなり熱中症なのか、と驚いた。
確かに、1日の昼に買い物に出たときにはすでに、夏の格好でも汗ばむほどであった。
ちょうど5月1日から初夏で、わかりやすくていいんだけれど。
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4月中に何か一つくらいは書かなければと思っていたのだが、とうとう飛ばしてしまった。
このブログを始めてから16年あまりで、おそらくは初めてのことである。
桜だって、見にいったのは1回だけだ。
3月の下旬には紀伊半島や四国南部まで桜を迎えにいき、その後4月中旬の京北まで、ほとんど毎週のように花見をするのが通例になっていたのに、今年はできなかった。
今だって、本来なら、東北のどこかの道の駅で車中泊をしているか、当日見つけた安宿でくつろいでいるかのいずれかであったはずだ。
今年は早かったからどうかわからないが、年によっては平地でも、たとえば八郎潟や角館や弘前などの桜がみごとだし、山に登れば確実に満開の桜に出会える。
そうして、「今年の桜」に別れを告げるのが恒例になっていた。
思えば、2011年に加え、2015年からは5年連続で、ゴールデンウィークは東北に出かけていた。その記録?がこんなことで途切れるとは、もちろん、予想だにしていなかった。
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4月はご多分にもれずてんやわんやではあったが、例年の年度初めに比べて特に忙しかったという実感はない。
ただ、ルーティーンではないことが多かったので、いろいろとばたばたしていたような気はする。
まあ、何であっても慣れないことをするのは新鮮で楽しいので、特に負担は感じなかった。
基本的にすこぶる面倒くさがり屋でものぐさなのだが、新しい経験ならいちおうは歓迎である。
困ったことといえば、ただでさえふだんから多いメールの数がさらに増えたことくらい。ときどきは職場のサーバにつながらないレベルで増えた。
イレギュラーなことばかりなので、いろんな部署から種々のメールが雨あられと届くのだが、そもそも読む必要があるのか見極めるだけでも → 読むだけでも → 返信するだけでも → それで仕事が増えればなおさら・・・という感じで、例年ならやらない仕事量はたしかに増えた。
一方で、この1か月で職場に出たのはせいぜい3〜4回なのだが、それでほとんど何の不自由もない。
なあんだ、そもそも仕事になんて行かなくてもよかったんじゃないか、というくらいのものである。
連休明けにはこの状態は解消するか・・・という感じで始まった新年度だったが、もはや夏まではこれが続くことが決まり、新たな日常をデザイン(すみません、ちょっと使ってみたかっただけです)しなければならなくなってしまった。
息子がいなくなって微妙なバランスが崩れたところへ、夫婦2人ともほとんど在宅みたいになったので、老後の予行演習みたいなところがある。
なんだかんだ言っても、いつもとは違うストレスも(気づかなくても)抱えているだろうし、世間でコロナDVやらコロナ離婚やらが取り沙汰されているのも故なしとしない。
意識して気をつけなければと思う。
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某地方公共団体に勤めはじめた息子は、お蔭さまで上司や同僚にも恵まれ、わけがわからないままとりあえずやってみなさいとの指導方針の下、意味のわからない単純作業にいそしんでいる(らしい)。
私と同じく、じっくりと頭を使うのがきらいで、単純作業ならいくらでもやっていられるというタイプなので、ぜんぜん苦にならないようだ。
食事のことを心配していたが、地下の安物の職員食堂が「どっちゃうまい」と喜んでいて、しかも昼休みですら混んでいないらしく(そんなことがありうるのか)、ひと安心である。
顎はまだまだ元通りとはいかないが、もうふつうのものは食べられるようになっている。今日はカナダ産のポークフィレ(安い!)カツをがつがつと食べていた。
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たいへんな思いをしていらっしゃる方々も多い中、桜が見られなかったり東北に行けなかったりするくらいのことで、なんだか申し訳ない限りである。
・・・ただ、私が生涯でたった3回、ひとなみに投資を始めたタイミングで、3回とも!、バブル崩壊・リーマンショック・コロナショックと、すべてたいへんな目に遭っている(しかもその都度、損失が増大している)ことに免じてお許しいただければと思う(違うか)。
それはそれとして、いろんなことでお困りの皆さまには、ほんとうに心よりお見舞い申し上げます。
2004年1月1日にこのブログを開設して以来16年以上にわたって、当初は毎日、それ以降も比較的頻繁に更新を重ねてまいりましたが、ここ1〜2年は特に、更新が滞っております。
それでも、最低限、月に一度は何かしら よしなしごとを書いてきたのですが、2020年4月は、とうとう何も書かずに終わってしまいました。
今後は、月に一度は必ず更新することを自らに課します。いくらナマケモノの私でも、そこそこ健康である限り、それくらいなら実践できるでしょう。
毎日更新している先達が、緊急入院・手術の当日にまで(手術室に搬送される直前に!)書いていらしたのを拝見すると、彼我の違いをあらためて思い知らされました。
(2020年7月11日記)
このブログを書いている「ココログ」のシステムが大規模改修され、管理画面が全面的に新しくなりました。
皆さまがご覧になっているブログ自体は何も変わっていない・・・はずなのですが、新しい管理画面から更新した最新の記事(●ありえないイタリアン)は、空行がすべて削除されて読みにくいものになってしまいました。
今書いているこの記事も、ここまでに2行空行を入れていて、書いている画面ではイメージ通りに表示されているのですが、実際に見る画面では空行がなくなってしまうのだと思います。
いろいろ試してみましたが改善されません。
おそらく何かのバグだと思うので、早急に直していただきたいと思います。
後記:結局、HTMLを直接変更することで対応しました。
1.<div></div> タグをすべて <p></p> タグに置換し
2.投稿前に右下の「編集機能」の「改行HTMLタグ変換」を「変換しない」に設定する
と、思ったような見た目になります。お試しください。
この場合、リッチテキスト画面で編集するときには、
A.ふつうにリターンを押すと1行空け(</p> タグ)
B.シフト+リターンを押すと通常の改行(<br> タグ)
になります(Macの場合だけかもしれません)。
つたない写真を臆面もなく皆さまに公開している(いえ、謙遜ではありません)
「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight」
「Look ! Up in the Sky」
ですが、これまでは基本的にココログの機能を使ってきました。
これが実に扱いにくく、写真ファイルの長辺は 640 pixel 以下、容量は 1MB 以下という今どき信じられないような情けない仕様で、しかも、アップロードに写真を一枚ずつ指定するなど、面倒くさくてかつ時間がかかるというものでした。
にもかかわらず、生来の辛抱強さ(嘘)がわざわいして、それに耐えながら使い続けてきました。
それが、新年を迎えたこともあって(というか、今まで何度も迎えてるんですけど)、外部の写真ストレージサービスにリンクすることにしようと思い立ちました。
ちょっと調べてみると、老舗の flickr(かつて使っていました)を始め、さまざまなサービスが展開されています。ただ、サービスを急に打ち切られても困るので、なるべく持続性のありそうなサイトを探しました。
ざっと見て回り、名前を聞いたことのある「フォト蔵」にしようかなといったんは決めたのですが、実際に見てみると、広告がうるさくてとても耐えられそうにありませんでした。
SNS時代でもあるし、この際 Instagram かとも思ったのですが、写真がぜんぶ自動的に正方形にトリミングされるらしく、それだけで論外です。
結局のところ、灯台もと暗しというか、Google Photos にしました。
昨年から iPhone 7 Plus で撮った写真を自動で同期していて、その便利さに驚いていたのですが、単にバックアップ目的で同期していただけで、これまでは特に何にも使っていませんでした。
試しにちょっとやってみると、これがまあ、夢のような使い心地。
写真は1600万画素までのものなら無制限にアップロードが可能です。大きなファイルは圧縮されて画質が落ちるようですが、見た目にそれほどの違いはありませんし、2048×2048 までなら圧縮もないようです(後記:ネットには圧縮がないという言説が転がっていましたが、実際は相当圧縮されていました)。
私は、実際に見るパソコンの画面の広さを考えて、長辺 1280 pixel でアップすることにしました。
アップロードも、複数まとめてブラウザの画面に Drag & Drop するだけで、スピードも速い。これまでの無駄な苦労は一体何だったんだろうという感じです。
このブログ用の写真をアップロードして、2つに分けて共有アルバムを作るのも簡単でした。
(著作権関係のことがちょっと引っかかるのですが、まあ別にカメラマンになるわけじゃないし、ココログだって他のサービスだって、その辺はけっこういい加減だと思うので、この際目をつぶります。)
これからもぜひ、
「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight」
「Look ! Up in the Sky」
をご贔屓にお願い申し上げます。
この本文の中からもリンクを張っていますが、
←のカラムのリンクをクリックすると、Google photo の共有写真ページにジャンプします。
(後記:愚妻(一度使ってみたかった)は今日まで! このブログの写真集の存在を知らなかったそうです。聡明なる皆さまにおかれましては、ぜひお見知りおきのほどを。)
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気がついたら、ここに何も書かないまま、月の半分が終わりつつある。
以前から書こうと思っていたのだが、このブログの更新が一か月滞った場合には、私は死んだと思っていただければありがたい(いや、やっぱり一年にしようかな ^^;)
まあ、今は twitter だの facebook だのもあって、そこには何か書いているということもあるかもしれないが、今のところ、広く外部への積極的な生存証明というのは、やはりこのブログをおいてほかにない。
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そういえば、昨日だったか、久しぶりに facebook の設定を眺めていると、
「追悼アカウント管理人」
の設定というのがあり、
「あなたが亡くなった後にアカウントの管理を任せる家族または親しい友達を選択します」
と書いてあった。
うわお。
だが、「個人ホームページ」のころから数えれば、こういうネット発信が始まって20年以上経つのだから、亡くなる人が相次いでいるとしても、なんら怪しむべきことではない。
実際、敬愛していた仕事仲間のブログも、遺稿となってまだ残っている。無料のサイトではないので、奥様がまだ会費を払い続けていらっしゃるのだろうと拝察する。
このブログシステム「ココログ」には、(たぶん)「追悼アカウント管理人」を設定する機能はない。しかし、一日も早く導入すべき機能ではないか。なんとなれば、今日亡くなったココログのブロガーも、一人くらいは確実に存在すると思われるのだから。
一つ疑問に思うのは、facebook の「追悼アカウント管理人」は、どうやってアカウントを引き継ぐのだろうかということである。
本人が死ぬ前に権限委譲をすればいいわけだが、もちろん、必ずしもそれができるとは限らない。どういう形でいつ死ぬかわからないわけで、facebook のシステムはもちろん、その死を把握できない。
とすれば、逝去を知った「追悼アカウント管理人」は、その時点で自らアカウントの管理に乗り出すことになる。それが可能であるならば、元の管理者が生きていたってアカウントを乗っ取ることができるはずだ。
まあ、そんなことをしないような信頼できる「家族または親しい友達」を選ぶべきなのだろう。でも、悲しいことに、人間関係というのはいつどうなるかわからないし、人もどんなふうに豹変するかわからない。
あ、「追悼アカウント管理人」は、facebook に、「これこれの方が亡くなったので私がアカウントを引き継ぎます」と申し出て、facebook が「これこれの人」に連絡を取り、一か月以内に返事がなければ引き継ぎを認める・・・とかいうシステムになっているのかもしれない。
死んだ本人に引き継ぎを申し出て、レスポンスがなければ・・・というのでもいい。
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こんなことを書く予定はなかったのに(タイトルは後からつけました)、よしなしごとをそこはかとなく書き付けてきたが、他人のことはともかく、私の場合にはそんなことをあれこれ考えても仕方がない。しょせんは、取るに足りない戯れ言を虚空に向かって記しているだけなのだ。
いや、「馬齢を重ねる」などと言うと、少なくとも名馬には失礼なくらいの人生であってみれば、こんなものでも、その人生に見合った生存証明だと言えなくもない。
「生存したことを証明して何の意味がある?」と言われれば、確かにその通りである。
しかし、人類が人類として生存し始めてから数万年、その 99.9999・・・%の人々は(子孫を除けば)なんの痕跡も残していないことを思うと、生きた証をだれもが残せる時代になったことは慶賀すべきことなのだろうとも考える。
どういうかたちでいつまで残るものなのかはわからないけれど。
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