2024.10.04

◆郵便料金の値上げと「一銭五厘」

 10月1日から郵便料金が値上げされ、はがきが85円、封書が110円になった

 それに関連して書かれた今日4日の天声人語(朝日新聞)を読んで不思議に思った。
 1937(昭和12)年にも官製はがきの料金が大幅値上げされていて、二銭になったというのだ。

 一銭五厘ではないのか?

 若い人は何のことかわからないかもしれない(それでも、歴史の勉強や小説・随筆・ドラマなどを通して知っているのが本来の姿だと思う)が、「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」(日本経済新聞20190119)というのが一般的な理解だ。

 徴兵された兵隊が「「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ」(「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」由来)たというような話は、いわば常識であり、私自身、直接間接に何度も見聞きした記憶がある。

 だが、はがきの料金は、1937(昭和12)年4月に値上げされ、それまでの一銭五厘から二銭になったという。
 であれば、日中戦争が始まったのは1937年7月だから、日本経済新聞の「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと」というのは、明白な誤りだ(後記:ただし、満州事変から「戦時中」だと考えれば、最初の1/3ほどは実際に一銭五厘だった)ということになる。
 私自身、迂闊にも戦時中のはがき代は一銭五厘だと思っていた。
(まさか、戦時中に値下げされて一銭五厘に戻ったのか?とも一瞬考えたが、調べるともちろんそんなことはなく、むしろ、三銭(1944年4月)、五銭(1945年4月)と値上がりしたらしい。)

 ただ、「召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」というのは誤りではない。戦時中に兵隊たちが(「教育的」効果を狙ってか)「一銭五厘」と呼ばれて軽んじられていたのは、まず間違いのない事実である。
 だとすると、1937年以前の悪しき伝統が受け継がれ、郵便料金が値上げされて(二銭どころか五銭になって)からも、新兵を「一銭五厘」と呼んでいたのだろうと推測できる。

 雑誌『暮しの手帖』の創刊者である花森安治も、徴兵されて実際に一銭五厘呼ばわりされていたことを書いている。特に『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社1971)はロングセラーとして有名で、出版から半世紀以上経った今なおすぐに手に入る(本来の表記は『一戔五厘の旗』)。

 花森が召集されたのは1937年秋のことらしく、まさに郵便料金が値上げされて半年後ということになる。ならば、新兵を「一銭五厘」と呼び続けていても不思議ではないし、その後も実際の郵便料金とは関係なく、符牒として継承されたのであろう。
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 ただ、ご存じの向きも多いかと思うが、そもそも召集令状に はがきは利用されていない。戦時中にたくさんの人々が目にした召集令状、いわゆる「赤紙」を検索すればすぐにわかるが、どう見てもはがきではありえない
 実際には、赤紙の送達には郵便は使わず、役場の官吏が対象者(留守の場合は家族)に直接手渡していたという。

 その意味で、「一銭五厘」があくまでも比喩として使われていたということも、いわば常識であった。

 ただ、天下の『日本経済新聞』ですら「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」と書いたりして、後半は誤りとは言えないにしても、そういう言説が繰り返されることによって、

「兵隊は一銭五厘のはがきで召集された」

という二重に誤った風説が定着してしまうことになるのである。
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 この件に限らず、私たちが常識だと信じ込んでいることが、事実とはまったく異なることは多い。

 あらゆる「知識」は、つねに仮のものであり、不断の検証を必要とする。

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2024.09.08

■EUの最貧国?

 Google でポルトガルを検索すると、
「ポルトガルは安全な国ですか?」はいいとして、
「ポルトガルは貧しい国ですか?」
「ポルトガルは先進国ですか?」、はては、
「ポルトガルは最貧国ですか?」のようなものがずらっと並んで辟易する。

 1人あたりGDPでポルトガルを見ると、EU27か国のうち18位と、確かにEUの中では決して金持ちの国ではないようだ。

 しかし、14位から25位を見ると、スペイン・スロベニア・チェコ・エストニア・ポルトガル・リトアニア・スロバキア・ラトビア・ギリシア・ハンガリー・ポーランド・クロアチアと並んでいて(2023年)、この中のギリシア以外は行ったことがあるが、どの国も、決して貧しい感じは受けなかった。

 それもそのはず、この中で最下位のクロアチアですら、世界では55位と、上位1/4くらいには入るのである。ポルトガルは42位、上位1/5だ。

 実際、ポルトガルが「貧しい国」、ましてや「最貧国」という感じはぜんぜんしない。
 高速道路網は日本よりはるかに発達しているし、北部を中心に、日本のETCのようなシステムを超えて、そもそもゲートすらない料金収受システムまで備えている。120km/hの制限速度からまったく減速しないで、自動的に料金を支払えるのだ。

 高速道路料金を徴収する時点で「ちょっとダメな国感」も感じられるが、フランスだってイタリアだってもちろん日本だって有料だ。
 それに料金も安く、今回、反時計回りにほぼ一周して2200kmほどを走り、躊躇なく高速道路を使っていたが、総料金はせいぜい6000円くらいですんだ。日本なら、大阪から長野までの400kmあまりすら走れない金額だ。

 一切減速することなく徴収できる利点の一つに、短い距離で低額を取っても交通の流れを阻害したりしないことがある。見た中で区間最安値は0.15€、日本円で25円ほどだった。

 国の貧しさは道路事情によく表れる。高速道路に限らず、ポルトガルの道路はよく整備されていて、人口が1000万人ほどの国だとはとても思えなかった。

 だいたい、タコのグリルが一皿4000円もする国が、貧しいはずがないのである(笑)

 名所への入場料が高いのにも困った。だいたい1500円〜2000円が相場で、夫婦では3〜4千円にもなってしまう。そんな「貧しい国」があるだろうか。

 プジョーやルノーの車が多いが、メルセデスだってBMWだって、あるいはテスラさえも、高速道路をばんばん走っている。ポルシェも何度も見た。
 さすがにフェラーリやランボルギーニは見なかったが、田舎ばかりを走っていたからかもしれない。

 住宅だって立派だ。広い敷地に綺麗な一戸建てが標準、屋根はすべてオレンジで壁は基本的に白。壁には水色や緑やピンクのパステルカラーを使っているところもあったが、名所でも何でもない街でも建物に統一感があり、街並みが美しい。

 ただまあ、敢えて言えば人々の生活が「質素」かもしれないという気はちょっとする。できるだけ地産地消で、足るを知る生活をしている感はあった。
 その証拠に、というべきか、日本を遥かにしのぐ高速道路網に、トラックがほとんど走っていないのだ。

 いや、ほとんどというのは言い過ぎで、もちろん時々は走っている。だが、日本の高速道路を知る者の目からすると、ほとんどいないも同然であった。日本の高速はトラックだらけだと言っても過言ではないし、夜中は文字どおり、本当にトラックばかりである。
 外国の例だと、たとえばドイツのアウトバーンを走ったのは昼間だけだが、それでもいちばん右(低速)側の車線にはトラックがずらりと並んで整然と走っていたものだ。

 ポルトガルの数少ないトラックを見ていると、いったい流通はどうしているのだろうと思うのだが、あれでやっていけているのだとすれば、むしろそこには「質素で豊かな」生活が地域に根付いているのではないかという気がする。

 泊まった宿の中には、勤め人や農家が家や部屋を貸し出しているところも多かったが、みなさん、何というか、「堅実」という感触を受けた。
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 いま、ふと気になって日本の1人あたりGDPを調べてみると、ポルトガルの1.22倍に過ぎなかった(2023年)。

 ポルトガルが最貧国なら、日本もそう変わらないのである。旅行の費用が懐を直撃するわけだ😢

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2024.09.06

■不機嫌なおばさん

 「働くおじさん」と「不機嫌なおばさん」をならべると、なんだかミソジニーのきついショービニストみたいだが、もちろんそうではない。ただ、こちらに来てからの経験では、不機嫌なおじさん1に対しておばさん5くらいの実感はあった。

 同じ働くんだから、「働くおじさん」のように機嫌よく笑顔で働いていればお互いにハッピーだと思うのだが、なぜか不機嫌な人もそれなりにいる。

 特にアメリカには(男女問わず)多い気がしていて、昔、同僚とアメリカに出張した折りに話題にしてみたことがある。その同僚の夫はアメリカ人なのだが、その夫の見解によると「自分の仕事に満足していないから」だということであった。
 アメリカンドリームなどという、ほとんどの人にとっては幻想に過ぎない夢を抱かされ、それが叶えられない現状に常に不満がある。それで不機嫌なものだから、そのとばっちりを顧客が受けるわけである。

 ここポルトガルでは、おそらくそういう感じではない。
 一部に、客のことを金銭を運んでくるだけの存在だと考えていたり、客と人間的な交流を持ちたくなかったりする人がいるのではないかという気はする。
 あるいは、ただプロフェッショナリズムに欠け、まったく事務的に仕事をこなしているだけかもしれない。

 いま泊まっている宿のご主人と娘さんは、いずれもとても愛想がよくて親切だ。
 でも、思い過ごしかもしれないが、ビジネスをうまく展開するための、営業的な「おもてなし」感がないではない。「働くおじさん」で書いたホテル経営者は、そういう感じがまったくしなかった。
 あるいは逆かもしれない。いや、もしかすると双方ともに営業スマイルか、いずれも心からの笑顔かもしれない。ほんとうのところはわかりようがない。
 だがまあ、事実はどうであれ、一介の客として不満はない。

 問題は、先日ランチを食べたレストランのように、経営者だと思われるおばさんがレジに座っていて、いかにも愛想なく金銭の受け渡しが行われることや、今日の工房兼土産物店のように、精一杯の現地語で挨拶してお店に入っていっても、ニコリともせずに迎えられたりすることがたまにあることだ。
 アジア人への偏見が裏にあるのかと僻みたくもなるが、見ていると、白人客に対しても同じなので、妙に安心してしまう。
 でも、いやしくも客商売をしているのだから、もう少し愛想よくしないのはなぜなのか、ほんとに不思議だ。
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 私自身は客商売の経験はないが、一度だけ、ボランティアで蕎麦屋のウェイター?をしたことがある。
 われながら、愛想もよく、目配りも気配りも行き届いた、いいウェイターだったと思う(笑)
 いきつけの寿司屋の大将は、自分が通う店でそういう気の利いた店員を見つけると声をかけ、自分の店でアルバイトをしてもらうと言っていた(ついでに?、奥さんもそうして見つけていた)。

 あ、いま思い出した。
 オーストラリアに仕事で行った際、ウェイターがあまりにひどかったので、店主に苦情を言ったことがある。そんなことをしたのは人生でその時だけだ。
 店主は苦渋の表情で、「ほんとに申し訳ありません。おっしゃることは十分認識しているのですが、人手不足で困っていて、いい人を雇うことがまったくできないのです。どうかお許しください」ということであった。

 そういうことならまだ仕方がない。でも、経営者までが無愛想なのはぜひやめてほしい。

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2024.04.30

★今年は能登へ

 ありがたいことに、ゴールデンウィークはいつも○連休という形にできたので、東日本大震災後は毎年のように東北に出かけていた。

 コロナの3年間は行けず、昨年4年ぶりに訪れたときには、ハード的な復興はほぼ終わっていた感があった。
 原発周辺にはまだまだ立ち入れない広い地域が残り、部分的に除染されたところにも人が戻ってなかったりしているし、津波に洗われたかつての生活の場所にはもう戻れない人々も多く、いろいろ困難で複雑な事情や課題は残されたままではあっても、ひとつの区切りは感じられた。

 今年は珍しく、明日(もう今日だが)仕事があり、10連休というわけにはいかない。
 それに、東北もおそらく、昨年と大きくは変わっていないだろう。
 今年は遅かった桜がたぶんこれからあちこちで満開を迎えるのを見られないのは残念だが、東北には行かないつもりだ。

 気になるのは能登である。

 最近はそれほどニュースにも取り上げられなくなってしまったが、明日で発災から4か月になる。

 4か月にもなるのに、能登の背骨(基幹道路)である「のと里山海道」には、派手に通行止めのマークがついたままだ。
 (みなさんも Google Maps で交通状況を表示してみてください。拡大すると、それ以外にもあちこちに通行止めが見られます。)

 初めて大震災後の東北を訪れたときには、地震や津波や原発事故からまだ2か月も経っていなかった。さらに、そう言ってはなんだが、能登半島地震とは比較にならないくらい広範囲で大規模な災害だった。
 しかし、報道から見聞きするかぎり、倍以上の時間が経った能登半島のほうが、当時の東北より、復旧(それどころか片付け!)が進んでいないようなのである。

 とりあえず今年は能登に足を運び、できれば東北と同じように、今後の復興を見届けたいと考えている。

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2023.11.24

●いずこも同じ秋の夕暮れ

 朝日新聞に「TSMC来ても「経済安保は守られない」 半導体政策失敗の本質とは」と題する記事があった(2023.11.24)。
「TSMCの衝撃」と題する連載の最終回である。

 それは、以下のように結ばれる。

 2021年に衆議院で意見陳述する機会がありました。僕は「経産省が出てきた時点でアウトだ」と言いました。経産省が先導した半導体政策は過去、ことごとく失敗してきたからです。
 失敗の本質は何か。官僚は自分が担当の2〜3年の間に実績を上げてステップアップしたい。実績とはいくら予算を使ったかということで、それを勲章と考える。目に見える最も分かりやすい実績です。
 しかし、予算を使った後は異動してしまい、それが競争力に寄与したのか、誰も分析しない。反省もしない。どんちゃん騒ぐだけです。こうしたことは、もう繰り返してはいけないと思います。

 筆者は、日立製作所に長く勤務して、現在は独立し「微細加工研究所所長」を務める湯之上隆氏だ。

 絶望的なのは、上記の「経産省」を「文科省」に置き換えても、まっっったく同じだということである。

 おそらくは、ほとんどどの省庁名に置き換えても同じようなことだと思われる。

 「もう繰り返してはいけない」「どんちゃん騒ぐだけ」の政策?は、私が知るだけでも四半世紀以上にわたって繰り返されており、現在も進行中である。
 そして、これからも繰り返されることはほぼ確実だ。

 「騒ぐだけ」ならまだいい。むしろどんどん悪くなっていることは、半導体の話をとってみても周知の事実であろう。

 はたして、この国に未来はあるのだろうか?

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2022.09.02

■大阪ガスから「電気料金【青天井値上げ】のお知らせ」が来た

 (以下、tweet したのを増補改訂(笑)したものです。)

 関西電力よりはましか・・・と思って、大阪ガスから電気を買っていたのだが、「電気供給約款等の改定のお知らせ」というダイレクトメールが来た。
 封筒の表には「今回の変更に伴う特段のお手続きは不要です」と朱書きしてある。手続き不要なのであれば・・・と、多くの人は、開封せずに捨てるかもしれない。

 しかしその中味は「青天井の値上げのお知らせ」なのである。それならそうと、「青天井の値上げのお知らせ」 と朱書き大書すべきだ。

 中味を詳しく読んでも、どこにも「値上げ」の文言はない。
「燃料価格の変動を電気料金に反映させていただく」のみだ。
 せめて「変動」ではなく「上昇」と書いてあればまだ良心的だが、あくまでも誤魔化そうという姿勢しか感じられない。

 燃料価格が上昇していることは事実だし、それに伴って値上げせざるを得ないのも仕方のないことかもしれない。
 「関西電力も同様なら、確かにわざわざ「特段のお手続き」をする必要もないかな・・・」と思いつつ、案内にあった大阪ガスの「お問い合わせ窓口」に電話して聞いたのだが、関西電力が同様の値上げを行うかどうかは「把握していない」という。

 そんなバカな。

 調べると、既存の大手電力10社は、規制に縛られていて、現状では末端個人消費者に対する同様の値上げができないらしい。
 おそらく、関西電力だって、いずれ認められれば同じような「料金改定」(=青天井値上げ)を行うだろう。
 だが、少なくとも現状では、大阪ガスと同様の値上げは予定していない。そのことを大阪ガスが知らないはずはないのである。

 「把握していない」などとは、まさに政府の国会答弁を髣髴とさせる逃げ口上だ。

 「関西電力では、少なくとも現在、同様の値上げは予定しておりません」と正直に答えず、「把握していない」とオペレーターにしゃあしゃあとウソをつかせるとは、悪質極まりない。
 もし予定していれば、「把握していない」などとは言わず、「関西電力でも同様の値上げがありますよ」と答えたことだろう。

 わざわざ関西電力から乗り換えてくれた顧客を騙すかのような今回の「電気供給約款等の改定のお知らせ」は容認できない。
 「今回の変更に伴う特段のお手続きは不要です」との朱書きも悪質だ。
 「きちんとお知らせしました」という体裁は整えつつ、契約者が青天井値上げに気づかないことを狙っている。
 わかりやすいグラフを添えて説明したりしているのがせめてもの良心か・・・と思っていたが、むしろ体裁を整えることの方に眼目があるのかもしれない。

 このやり口が気に入らないため、契約を関西電力に戻すことを考えている。
 いや、関西電力はもっと悪質でしょ・・・と言われれば、たぶんそうだろう。
 ただ、私個人に悪質さを直接露呈してきたことはない。
 でも、どうせいずれは・・・とも思う。

 いったいどこから電気を買えばいいんだろう?

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2021.12.04

★「ええこと」2

 以前、「ええこと」について書いた2年前は、書き出しが

おお、11月の記事がひとつもなくなるところだった。」

なのだが、今回は11月の記事がひとつもなくなったあとだ。

 まあ、twitter は随時更新しているので、生存証明にはなっていると思う。

 さて、「ええこと」2。

 前回の「ええこと」の趣旨は、「われわれ庶民に「ええこと」なんてそうあるものではない」というものであった。

 ・・・というのが正しいか、念のため読み返したところ、そうではなくて、息子の就職が(一応)決まったというものであった。上記趣旨は十数年前のものだった。

 たまには「ええこと」もあるのである😅

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 さて、今回は人様の話。

 かつての同僚にひょんなことから子育て関連で久しぶりに連絡すると、現在ふたりめのお子さんを妊娠中だと教えてもらった。

 ふたりめ!!

 いやいや、若い夫婦なんだから当然といえば当然のことなのだが、いつの間にか頭の中が、「超少子高齢化・ひとりっ子または子なし・いやそれ以前に結婚しない」というのがふつうの世界・・・という状態になっていたので、他人事ながら、ふたりめ懐妊というのは想定外の驚きだったのだ。

 心の底からおめでとうございますと言いたい。

 私には甥や姪が8人いるが、だれひとり結婚していない。息子にももちろん、その影すらない。ひとりふたりを除き、全員「適齢期」か、または過ぎているのに、である。

 いや、何もここで昭和の価値観を出すつもりはない。別に何歳で結婚してもしなくてもいいし、スウェーデンやフランスみたいに「子どもはいても結婚している方が珍しい」でも、個人的には別にかまわない。

 だが、これほど子どもが少なくなると、国民国家の存亡に関わるというのは、まったく民族主義者でも国家主義者でもない私にもひしひしと感じられる。
 民族主義者や国家主義者だらけの政治家たちは、いったい何をしているのだろう?

 ・・・というような意味で、おめでとうございますと言いたいのではもちろんない。

 育ってしまうとそうでもなくなるが😅、「子宝に恵まれる」ということばを実感する者のひとりとして、民族や国家のことなんか何の関係もなく、完全に個人的にうれしく、おめでたく感じたのである。

 幼子を抱えているところにまた乳児が生まれてくるなんて、想像もできないほどたいへんそうである。二人ともフルタイムで働いているからなおさらだ。

 でも、

While motherhood is hard, children are bliss.

である。

 いや、私だって十分子育てをしたし、parenthood というべきかもしれないが、元同僚は mother だし、これでいいだろう。

 ともかく健康第一で、家族4人!、お幸せに。

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2021.08.25

★各国はアフガニスタンの人々も救ってほしい

 新型コロナはもちろんだが、アフガニスタンの情勢も気になる。

 そんなことを私が気にしたところでまったく何が変わるわけでもないのだが、投票行動の一票と同様、みんなが気にすれば少しは変わりうる、そう願うしかない。

 アフガニスタン人の知り合いは2人しかいない。
 2人とも、女性への教育を否定していた旧タリバン政権崩壊後に、留学生として日本にやってきた女性だ。
 来日当初は、何かに怯えるようにいつもびくびくしながら人の顔色をうかがっているように見えたのだが、たぶん思い過ごしではなかったと思う。
 その彼女たちも、だんだんと明るくなって笑顔が増えていき、日本での生活になじんでいったように見えた。
 数か月会わないで再会したときには、髪の毛を覆うスカーフまでしなくなっていたことに驚いたものだ。

 彼女たちも、もう40歳前後になっているだろう。
 特に親しいわけでもなく、こういうことになる前から消息はわからなかったので、現在どうしているかは知る由もない。

 だが、20年ぶりに政権を奪還しつつあるタリバンは、留学経験者を目の敵にしているという報道もあって、心配している。

 彼女たちが国外で幸せに暮らしていることを願う。
 そしてもし、いまアフガニスタンにいるのなら、アメリカ軍でもドイツ軍でもフランス軍でも、あるいは自衛隊の飛行機でもいいから、無事に国外に脱出してほしいと思う。

 各国は、自国民だけではなく、亡命を希望するアフガニスタンの人々も救ってほしい。

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2021.05.18

■夫婦同姓の「伝統」

 まず、事実確認をしておきたいのだが、法律的なカップルに同姓であることを強制している国は、現在世界中で日本だけであり、それは法務省も内閣も一致して認めているところである。

 この「強制的夫婦同姓」が仮に「日本の素晴らしき伝統文化」なのであれば、たとえ世界唯一であろうと、誇りととも続けていってもかまわないかもしれない。

 「素晴らしき」かどうかには個々人の価値観が伴うのでここでは扱わない(しかしながら個人の権利を制約する点や利便性から見れば素晴らしくない可能性は高い)が、はたして「強制的夫婦同姓」は「日本の伝統文化」なのだろうか。

 もはや周知のことだと思うのだが、それまでふつうは姓を持たなかった日本の住民は、戸籍制度の確立にともない、1875(明治8)年になって姓をもつことを強制された。
 そして、翌1876年の太政官指令では、それまでの武家等の「伝統」にしたがい、夫婦は「所生ノ氏」(生家の姓)を用いるべき(=夫婦別姓)と定められた。

 夫婦同姓になったのは、明治も半ばを過ぎてから、1898(明治31)年に施行された明治民法以降のことである。たかだか120年ほどの歴史しかないのだ。
 今年は「皇紀」2681年であるから、実にその最後の1/20以下の「伝統」ということになる。

 だが、こういうことを言っても、夫婦が同姓であることを「伝統」だと言いたがる人たちは、いろいろと理屈をつけてどうしても伝統にしたいとがんばり続けている。

 それに対する便利な反論をひとつ思いついたので、この文章を書く気になった。

 いま私たちのほぼ全員が日常的に着ているような衣服を、「日本の伝統文化」だという人がいるであろうか。

 そう、夫婦同姓は、まさに洋服と同じくらいの伝統しか持たないのである。

 そういうものを日本の伝統文化だと言い募るのは、恣意的を通り越して捏造に近い。
 まあ、あと100〜300年もすれば、洋服も立派な日本の伝統文化の仲間入りをする可能性はあるかもしれないが、今はまだそのときではない。これは、衆目の一致するところであろう。

 強制的夫婦同姓は、日本の伝統文化でもなんでもない。むしろ、伝統文化に反するものと言っても過言ではない。
 まあ、そんなことを言えば、全国民が姓を持つこと自体が伝統ではないのだが。

 伝統伝統と言いたがる人たちが好きなのが、なぜか近代以降の帝国主義・植民地主義・君主制・家父長制の「伝統」であることは興味深い。
 己を大きく見せて他を支配したいという醜い心根の反映でないことを願うばかりである。
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 夫婦同姓や洋服に限らず、日本の多くの「伝統」は、明治までしか遡れない。そして、残りの少数の「伝統」も、多くは江戸時代までしか遡れない。それ以前の「日本古来の伝統」は、ごくわずかである。

 たとえば、江戸時代になるまでは、醤油も清酒もなかった。砂糖も貴重品でほとんど使われなかった。
 かつおや昆布の出汁はもっと古くからあったようだが、それでも室町時代後期からであるらしい。合わせ出汁が文献に登場するのは、江戸時代になってからだそうだ。

 いわゆる日本料理の源流はおそらく茶の湯の懐石からだと思われるが、こう見てくると、現在の日本料理の伝統はせいぜい江戸時代からのものだと言っていいのではないかと思う。
 醤油も合わせ出汁も清酒も砂糖も?ない料理が、現在考えるところの「伝統的日本料理」であるはずかない。

 なにも料理に限らない。日本の、いや、あらゆる国や地域の伝統は、外来文化の受容と、発見・発明とからなる、ダイナミックな変化の歴史として紡ぎ出されてきたものである。

 ごく一時期に歴史の偶然から生み出され、しばらく続いただけのものを墨守することは、伝統を大切にすることでもなんでもない。

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2021.03.14

●愚かな e-Tax

 キカイに疎い家人の確定申告を一緒にやった。
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 「スマートフォンで確定申告ができます」
 「確定申告はスマートフォンで」
 「スマートフォンでの申告がさらに便利に!」
 「e-Taxをご利用ください」
 「e-Taxならこんないいこと」

 国税庁のサイトでもテレビCMでもかまびすしく、税務署から送られてくる書類にもそう書いてある。

 ところが・・・

 マイナンバーカードが必要だし、iPhoneなら7以上が必要ということで、ハードルがかなり高い。

 幸いクリアしているので、昨年度のデータの読み込みから始めると、まず「パソコンで保存したデータは利用できません」という先制パンチ。

 マイナンバーカードを何度も読み取らせるのにも辟易する。
 ただ、その甲斐あって、住所や氏名などが自動入力されたのにはちょっと感動した。

 にもかかわらず、申告書作成画面では結局また手入力させられる。パソコンと違って入力が面倒だ。
 さっき読み取ったデータは使わないのかよ !?

 やりたかったのは譲渡損失の繰越が中心なのだが、どこまで入力しても譲渡所得も損失も入力できないまま、最後まで行ってしまって提出寸前になった。
 間違ったことはしていない。が、どうしても譲渡所得が入力できそうにない。

 ネットで調べると、なんと、譲渡所得(損失)がある人はそもそもスマホでは確定申告できないというのだ!

 何だよそれ。

 それでよく

 「スマートフォンでの申告がさらに便利に!」

なんてバカなことを言うよなあ・・・

 株でちょっと損を出したとか、その程度の人すら、スマホでは確定申告できないのである。
 事業所得や不動産所得があってももちろんダメ。
 利子・配当所得すらダメ。

 それで、「スマートフォンでの申告がさらに便利に!」なったんだったら、これまではどれほど不便だったのか。

 サラリーマンならふつうは職場で年末調整するから確定申告は不要だし、確定申告するような人は株の譲渡所得(損失)や配当所得などがある人が多いはずだ。
 どんな狭い層をターゲットにしているのか。
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 さて、あきらめてパソコンでやろうとする。

 今度は ICカードリーダーが必要だ。もちろんそんなものは持っていない。
 パソコンにスマホをブルートゥース接続して ICカードリーダーとして使うことができるというので、それなら・・・とぬか喜びすると、iPhone にも Mac にも対応していないという。
 Mac はともかく、日本にあるスマホの6割ほどが iPhone だというのに、どこまでやる気がないのか・・・

 結局は、パソコンにしこしこと入力していき(去年のデータが使えたのは幸いだったが)、最後は紙に印刷してハンコまで押さなければならない。
 河野さん、平井さん、何とかしてくださいよ。

 さらには!

 マイナンバーカードの裏表をコピーして、台紙に糊付けする必要がある。

 ICチップのついたカードのコピーをハサミで切り取り、糊を塗って貼り付けたりしていると、情けないやら可笑しいやら腹立たしいやら、なんとも言えない気分になる。

 うちにはマイナンバーカードも、その読み取りに対応したスマートフォンも、最新に近いパソコンもあるのである。それでもこれしか方法がないのだ。

 申告書は8枚もある。これにまた、社会保険料控除と生命保険料控除(必要があれば小規模企業共済等掛金控除・地震保険料控除・寄附金控除関係など)の書類を糊付けして封筒に入れ、郵送しなければならない。

 なんというバカバカしさだ。これが2021年の日本なのである。

 仕方ない、郵送はやめて税務署で提出し、ついでに直接税務署員と対面して ID とパスワードを発行してもらおう(対面しないと発行してもらえないのだ)。

 それでやっと、来年から e-Tax が可能になる。

 それでもなお、スマートフォンでは申告できない! orz

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