2022.08.09

★生前整理・・・

 過日、1か月以上入院していた父親が退院することになり、コロナで面会もできなかったことから、会えるのをそれなりに楽しみにしつつ、実家近くの病院まで迎えに行った。

 行けそうなら、退院祝いに寿司でも一緒に食べに行こうかと思っていたのだが、出て来た父親を見ると、すでに立って歩けなくなっていて、呼吸もちょっとままならないような様子であった。
 太ももを見ると、痩せ細って小枝のようになっている。

 これが自宅なら、救急車を呼ぼうかと思うような状態だし、今すぐ病室に戻してほしいような気もしたが、退院せよというのだから仕方がない。
 退院する2週間くらい前に、療養型病院に転院させてくれないかとも頼んだのだが、「病院で診なければならないような状態ではない」という判断であった。

 車椅子を押して、弟と一緒に病院の玄関まで連れていき、私は駐車場から車を出して、車寄せへと向かう。

 幸い、車椅子から車への移乗(これってテクニカルタームですね)は何とか自力でできる。つまり、とりあえず何かにつかまれば立てるというくらいだ。
 4月に母親の四十九日の法要をしたときには、ふつうにとは言わないまでも歩いていたし、場を主宰することもできていたのに、数か月でたいへんな衰えようである。
 もちろん口には出さないが、年は越えられそうにないな、とは思った。

 サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に連れていってからも、たとえば車椅子からベッドに移乗するだけで息が切れ、5分10分と呼吸を整えないと何もできないというような状況だった。
 サ高住で待っていたケアマネージャーも心配してくれ、ホーム長にパルスオキシメーターを持ってきてもらって、経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定してもらった。
 最初右手でやったときに低かったのでびっくりしていたが、手が冷えているからかもということで左手に変えると正常だったようだ。

 「サ高住ではどうにもならないのではないか」と心配したが、受け入れ側はプロなので、私たちほどうろたえていなかったし、そのうち少しは体調も回復してきて、自分で車椅子に乗ってベッドとトイレを往復できることがわかり、ちょっとほっとした。
 近くのスーパーで買ってきた巻き寿司も、2つだけだがまあ食べた。聞けば、病院食をずっと完食していたのに、体重が11kgも減ったのだという(あとで弟が16kgだと言っていた。どちらが正しいのかはわからない)。

 多くは弟に頼ったが、サ高住とはいえ、人ひとりがそこで暮らすためには、運び込む荷物もけっこう大変である。まず、借りた医療ベッドにマットと布団を敷き、掃き出し窓にカーテンをかけるところから始めなければならなかった。
 冷蔵庫や洗濯機は兄弟3人が揃う8月20日に運ぶことにして、それまでの算段やら軽トラの手配やら、ここに書き切れないもろもろがあった。

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 入院時や退院時と相前後して、何度か実家に寄り、生前整理をする必要に迫られた。

 新聞を休止するのから始まり、いろんなところに解約の連絡等をしていく。
 愚にもつかない健康食品やらサプリメントやら野菜ジュースやら青汁やらを、いずれも定期購入しているのに嘆息する。
 極めつけはウォーターサーバーで、喜んで元気に使っているときから懐疑的だったのだが、やはりというか、面倒くさそうな会社の商品だった。そもそも、毎月5千円近くを飲み水に費やしているのが信じられない。上記もろもろを含め、毎月いったいいくら支払っていたのやら。
 まあ、だから90歳を超えても元気だったのだと言われれば、関係ないとは思うものの、そうではないと断言はできないのだが。

 ウォーターサーバーの会社に電話すると、「契約申込時の電話番号と違う」と自動音声に文句をつけられ、一方的に切られてしまってそれ以上進めない。門前払いである。
 仕方なく、父親が契約に使ったと思しき固定電話からかけ直し、当時はまだ帰宅する可能性があったので、自動音声相手に次回配送を9月に延ばしてもらう手続きをした。携帯で契約していなくて幸いだった。

 この会社、解約しようとすると解約金やら何やら法外な金額を要求してきそうだ・・・と取り越し苦労をしていたが、その後、解約の連絡がメールででき、「長年お使いくださっていたので特別に解約金はなしで・・・」のようなニュアンスで無事解約することができた。
 ただ、巨大なウォーターサーバーを回収しないといけないというので、その手続きや費用もばかにならない。比較的近所に住んでいる弟の家にいったん移して、そこから回収してもらうことにした。
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 インターネットを解約しようとすると、そこにケーブルテレビとNHKと電話もついていた。さらには電気までネット会社(eo光)で契約していることがわかった。
 電話番号に未練はあったのだが(私が小学校1年生の絵日記に書いた電話で、下4桁が7555なのである)、兄弟で相談して電気以外はすべて解約することにした。

 それを父親に(LINEで)説明し、了解を得る(電話がかかってきた)のがちょっとした苦労だった。何しろ息も絶え絶えに話すので、電話では何を言っているのかが非常にわかりにくい。ぜんぶ録音されるようになっているので、切ってからそれを聞くと、2度目ということもあってまあわかったのだが、電話している最中は、ほんとに苦労した。

 サ高住に入ってから、LINEでの簡単なやり取りのほかに、3回ほど電話があった。

 最後の電話は、3食出してくれる食事を、旅行に行くときなど、食べないときはどうすればいいのかと聞いたりするもので、「この期に及んでまだ旅行するつもりか」と、うれしいやら悲しいやら可笑しいやら・・・だったのだが、その翌日には、実際、旅に出ることになった。
 もちろん、気楽な温泉旅行などに行けるわけもなく、帰ることのできない永遠の旅となってしまったけれども。

 「後を追うように」というには少し長いような気もするが、母親が死んでから5か月足らずであった。

 せっかく病院を退院したのに、サ高住に入居してからわずか6日で、92年と2か月あまりの生涯を閉じ、きょうが告別式だった。
 2週間前に義姉のそれを終えたばかりだというのに。

 「コーヒーが飲みたい」と言っていたので、私が送ったドリップパックが到着する日に、到着を待たずに死んでしまった。
 前日の夕方には、弟が組み立て家具を用意し、3つのうち2つを苦労して組み立てたところだった。

 通夜の日には、入院直前に父親が購入した宝くじを手に、兄が半ば本気で怒っていた。
 あの年齢であの健康状態で、たとえば3億円が当たったとして、いったいどうするつもりだったのか、どういうつもりで1万円近くを無駄に浪費したのか、というのである。

 まあもちろん当たらないのだが、仮に高額当選したとしても、それを私たちに残そうとしていたとは思わない。
 たぶん、人生はずっと続いていくと漠然と考え、従前の生活習慣を漫然と続けていただけなのではなかろうか。
 兄には理解できないようだが、まあ人間、ふつうはそんなものだと私は思う。
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 もともとは「生前整理」というブログを書こうとしていたのだが、書く前にこうなってしまい、「・・・」がつくこととなった。

 告別式の後、お骨揚げを待つ間に、まだまだ片付かない実家に寄り、ふだんほとんど入らなかった寝室を覗くと、3月に亡くなった母親の衣服が、まだいくつも壁に掛かったままであった。

 両親ともに他界して、これから死後整理が始まる。

 立秋は過ぎているが、長い夏になりそうである。

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2022.07.25

●いつもとは違う通夜

 先日、父親が入院したあと、いちど病院と実家へ行ってもろもろの用事を片付けた帰り、兄から電話がかかってきたのを車の中で受けた(ハンズフリーです)。

 父親の退院後の生活について相談していると、兄が「○○も末期がんやし、どっちが早いかわからんなあ」というようなことを口走った。

 「え? だれが末期がんやて?」
 「○○や」

 義姉、つまり、兄の配偶者である。私と同い年だ。

 10年以上前に乳がんを発症し、その後も完治とはいかないらしいのは知っていたが、まさか末期だとは知らなかった。

 その2か月ほど前には、遠方から母の四十九日に元気に?来てくれていたのである。
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 きょう、その義姉の通夜を終えた。明日は告別式だ。

 こんなに若い身内を見送るのは初めてである。
 いつもの(まあ順番だから仕方ないよね)感を伴う親戚の集まりではなく、「もっとええことで会えたらよかったのになあ」という定番の軽口をたたく者もいない。

 残された長女が弔辞を読むに至って、葬儀場にはすすり泣きの音がいつにも増して響きわたる。
 現役世代なので、親類ではない弔問客も後を絶たない。
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 理不尽な死である。なにせ、娘を見送る母親が通夜に来ているのだ。

 今年に入って、うちの母親と義姉が亡くなった。父親だって年を越えられるかどうかわからない。

 死だとか生だとかについて、以前にも増して考えるようになった。
 死生観というような大げさなことではないが、なんかそういうものも変化しつつある。

 死者はむろん、何も語らない。
 生きている者が、語りかけられたように感じるだけだ。

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2022.07.03

●「実行時エラー '53': ファイルが見つかりません」の解決方法

 Mac で Office 関連のアップデートをしてからだと思うのだが、Word などで書類を開こうとすると、「Run-time error '53': File not found」というのが出るようになった。
 日本語版だと、「実行時エラー '53': ファイルが見つかりません」のようだ。

 出ているダイアログに2〜3度「END」を押せば正常に使えるのだが、毎回のことなので非常に鬱陶しい。

 調べてみると、みなさんなかなか苦労していらっしゃるようである。他の人が解決していて、「これは正しい」と思う方法でもダメだったのでちょっと手こずった。

 結局は解決したので、以下の方法をお試しください。
(そうそう、ツールをダウンロードさせてそれを使わせようとする怪しい?サイトがありますが、いかにも何か悪さをされそうなので、お使いにならないのが吉です。)

 要するに「linkCreation.dotm」というファイルを削除するだけなのですが、私の場合、削除しても同じエラーが出つづけました。

 ・・・と思ったら、同じ名前のファイルがハードディスク内に2つあって、ふたつとも削除すると解決しました。

1.まず、Office 関連のアプリケーション(ワードやエクセルやパワーポイントなど)をすべて終了して
2.Finder か検索ソフトで「linkCreation.dotm」というファイルを探し出し、すべて削除してください。

 それで解決すると思います。

 私は検索ソフトに EasyFind を使っております。お勧めです。
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 後記:PowerPoint でまだ出ました・・・ 「SaveAsAdobePDF」を検索して削除すると解決しました。
    削除しても、ファイルをPDF形式で保存するのに支障はありませんでした。

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2022.04.22

★追悼:柳生博

 柳生博さんが亡くなったそうだ。85歳。俳優・日本野鳥の会名誉会長。

 2年前の夏、念願叶って八ヶ岳倶楽部にお邪魔したとき、ちょうど柳生さんがパティオ的なところで仲間と元気に談笑していらっしゃった。

 あれから2年も経っていないのに、報道では老衰だという。

 うちの母親はまあ、順調に?死に向かっていたので、2年前でもけっこう死の影はちらついていたのだが、あの柳生さんが母親と1か月ほどしか違わずに同じ死因でお亡くなりになるなんて・・・

 家人は八ヶ岳倶楽部でスツールを買った。そこに柳生さんがいる。すみません、と話しかけて、スツールにサインしてもらおうかと思ったのだが、さんざん悩んで結局は声をおかけするのを遠慮したのが悔やまれる。

 あのときお願いさえしておけば、いま書斎にあるスツールには柳生博のサインがあったはずなのだ。

 もはや永遠に叶わない。

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 いや、それもそうなのだが、母親の書いたものって何か残ってたっけ?

 どうせみんな死に、死んだことすらそのうち忘れさられるとは思うものの、生きている者がいるうちは、思い出すことに努めたい。

 たとえ、形あるものは何も残っていないとしても。

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2022.04.08

★バグ?連発

 新年度で(それなりに)忙しいのに、キカイのいろんな不具合に悩まされている。

 何十年もパソコンやネットワークを使っていて、職場では(たぶん)私がいちばん詳しいのでそういう役を引き受けているくらいなのだが、その長い経験を経ても、「こんなことは初めて」というのが多くて辟易する。

 まあ、ネットのお蔭で多くは調べれば解決するのだが、それにしても面倒だ。

1.iPhone の機内モードつきっぱなし問題。

 機内モードにはしていないのに、iPhone のホーム画面左上に飛行機のマークが出たままになる。
 アプリに入ると消えるので、それほど実害はない。いったん電源を切って入れ直す(再起動)だけで直る。

2.Excel の空白セル問題

 人からもらったExcelの表。どのセルにも文字列が入っているはずなのに、ほとんど真っ白で、すかすか。
 セルをダブルクリックして入力状態にすると文字列が現れる。他のセルに移動すると、いったん現れたデータがまた消える。
 隣のセルの影響とか文字色が白とか、そういうよくある原因ではない。
 セルをまったく新しいブックのシートにコピペしても白いまま。
 結局のところ、原因は、文字列を整形するためにたくさんの空白文字を使っていることだったのだが、それでも、なぜそれが原因でセル全体が真っ白に表示され、データが消えたように見えるかは謎。
 いったん、全データをcsvで書き出してテキストエディタで開き、余分な空白を削除してからExcelに戻すことで解決。
 ・・・ところが、さっき、もとのファイルを開くと、データがちゃんと表示されているではないか!? 謎はますます深まる。
 いずれにせよ、(原則として)空白でデータの形を整えようとするのは悪い癖である。

3.メールに添付ファイルが付いていない問題

 Thunderbird というメールクライアントソフトを長年使っているのだが、初めて遭遇したバグ。
 「添付ファイルをつけて送った」という人が隣にいたので、画面を見せながら「ほら、ついてないでしょ」と言っていたのだが、念のため、ブラウザで開いて見ると、ちゃんとついている。
 再度同じものを送ってもらっても、やはり Thunderbird で見るとついていない。
 検索するとすぐに原因はわかった。メッセージ本文の表示にプレインテキストを選ぶと、そういうことが(たまに?)起こるバグらしい。
 表示形式を Simple HTML にして解決(Original HTML でもいいと思う)。


 その他、メーリングリストを作成しようとすると、まったく問題がないはずなのにできない(しかもなぜできないのかが表示されない)とか、他にも複数のエラーやバグに悩まされた。
 あ、今日夕刻には同僚のパソコンがWi-Fiにつながらなくて、私ともう一人詳しい人とで診たのだが、まったく原因不明であった。

 すべて、ここ1週間以内のことである。

 解決しても、ふつうに仕事ができるようになるだけ。何も生産的なことやプラスにはつながらない。

 時間だけ奪われて、通常に戻るのみ。
 まあ、プロに依頼する修理と違って、お金がかからないだけマシか・・・

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2022.03.31

●だれかのいない世界

 母親が他界してから2週間になる。

 いわゆる?二七日(ふたなぬか)というやつだ。

 あと5週間経てば七七日(なななぬか・しじゅうくにち)、満中陰だ。

 別に仏教徒ではないのだが、父親は仏教徒っぽいし、今後も死者(=母親)への儀礼は仏教式で続いていく。
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 ところで、というか、母親はもちろんもうこの世にいないのだが、仮にいたとしてもそれほど変わらない。

 生きていて、もっとも頻繁に会っていたときですら、数か月に1度顔を合わせれば多いほうだっただろう。
 別に仲が悪いわけではないし、帰省すればいろいろしゃべって一緒にお寿司を食べたりもするが(あ、たまには旅行にも行った)、手紙類は父親の出す印刷の年賀状だけだし、電話も滅多になかった。

 なので、たった2週間の音信不通くらいでは、生きていようが死んでいようが大差ない。

 あるとすれば、何かの折りに、「もう会うことも話すこともできなくなってしまった・・・」と考えるということだろうが、今後そういう感慨に耽ることはあるのだろうか。

 考えてみると、母親に限らず、例えば小中高大学の同級生や複数の職場の元同僚・教え子など、ふだんから音信不通の人たちは、生きていようが死んでいようが大差はない。
 まあ、たぶんほとんどは生きていて、まだこの世界にいるのだろうが、仮にこの世が彼(女)らのいない世界であっても、私にとっては何も変わらない。

 少しでも何かが変わるとすれば、少なくとも10年に1度くらいは、会わないまでも何か音信があるとか、そういう人でないと、かつて何らかの縁を結んだことは、私の世界に何の影響も及ぼさない。
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 たまに思い出すのだが、生死や行方のわからない、かつての友人・知人が数名いる。

 特にそのうち一人は、こちらが努力して消息を尋ねたり探したりしても手がかりは得られない。

 それこそ10年以上音信不通なのだし、別にあいつがこの世に存在しようがしまいが、この世界は何も変わらないのだが、間違いのない死者とは違って、またこの先、突然、この世界があいつのいる世界に変貌する可能性はある。

 その点、死者は甦らない。二七日や七七日は輪廻転生の思想と密接に関わっているが、人類史上、実際に転生した者も(たぶん)存在しないし、まして甦った者などいない。
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 この世界は、毎日毎日、というより、毎秒毎秒、だれかのいない世界へと変貌を遂げている。

 だが、その変貌は、具体的な自分の生活に関わってこない限り、ほとんど感知されない。

 であれば、だれかのいない世界は、いた世界とそれほど変わりがあるわけではない。

 たとえそれが、自分の母親であったとしても。

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2022.03.27

●春を求めて

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 今ごろになってしまったが、シジュウカラ用の巣箱を自宅に設置した。
 20年ほど前に自作のものを設置して以来である。前回は数年経ってもずっと空振りだったが、今回はどうだろう。

 明日からは、この時期恒例の「桜を求めて南方へひとり旅」に出る。写真は4年前、偶然出会えた景色(クリックで拡大)。

 さて今年は。

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2022.03.20

●「生きとうもんのほうが大事や」

 「生きている者のほうが大切である」

 まだ私が20歳にもならないころ、知人の通夜に向かう車の中で、母親が私に言った言葉だ。

 翌日に大学のフランス語の試験を控え、一夜漬けで勉強しようという計画?が頓挫した私が、「お通夜に伺ってそそくさと帰るわけにもいかへんし、明日の葬式には出られへんし・・・」とちょっと困っていると、母親が「生きとうもんのほうが大事や」と言ったのである。

 幼いころから死に対する感傷を抱えていた私は、もしかするとお通夜なんかに行くのも初めてだったかもしれず、「ものすごい冷酷なことを言うなあ」と内心穏やかではなかった。
 と同時に、大人の余裕というか、物事に動じないところにはちょっと感心してもいた。

 知人といっても、老人の大往生ではないのである。小さいころにお世話になっていた近所のおばさんの娘さんで、当時たぶん、40歳前後だったのではないかと思う。
 夫婦でテニスをしにコートまで出かけたが、忘れ物を取りに帰ろうと娘さんだけで車を運転中、交通事故に遭ったというようなことだったと記憶している。

 突然娘に先立たれたおばさんの心中はいかばかりかと思うと、フランス語の試験なんてほんとにどうでもいいことのように思えるのだが、そうはいっても現実問題として、単位を取れずにもう半年か1年同じ科目を履修するというのも確かに避けたかった。

 結局、お通夜には出席して、早々に帰宅した。
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 後年、あのときの「生きとうもんのほうが大事や」というのは、太平洋戦争中、幼かった母親に祖母が言っていた言葉をそのまま繰り返していただけなのではないかと思うようになった。

 死が周囲にあふれていて、自分にも近々訪れる可能性があり、かつ、毎日食べて生きていくこと自体が困難であるとき、ほとんどの人は死者にかまっている余裕はない。
 「生きている者のほうが大切だ」と言い聞かせて、死者を顧みない自分たちを免罪しなければ、生きていくのが辛かった時代の言葉なのだろうと思う。

 母親はたぶん、深く考えもせず、戦時中にしょっちゅう聞かされていたフレーズを口にしただけなのだ。
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 その母親が他界した。

 先日ここに書いたとおり、「敗血症・脳梗塞・肝臓がんをそれぞれ乗り越えてきて、糖尿病ともずっとつきあってい」た母親である。
 もう一つ忘れていたが、パーキンソン病とも診断されており、脳梗塞の後遺症とも相まって、歩けなくなっていた。

 最後は新型コロナに感染し、せっかくそれを生き延びたのに、後遺症もあったのだろうか、体が弱って食事が取れなくなって亡くなった。

 食事が取れなくなってきたというので、その対策を相談しようと、母親にも会うことになっていた、その前日に死んでしまった。

 これがその翌日なら、「最後に顔が見られてよかった」と思えたのだが、「明日会えたのに」と、ちょっと無念に感じながら遺体と対面する羽目になったのは、コロナ禍で碌に面会もできないことをそれほど不自由にも感じていなかった罰なのかもしれない。

 額に手を置いて、「あんまり会いに行けなくてごめんな」と今さら懺悔しても、死者には何も伝わらない。
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 唯一よかったのは、コロナ死ではなかったことである。

 専門家が「死体は呼吸しません、死体からは感染しません」と力説しているにもかかわらず、亡骸を袋に入れられて、顔も碌に見られないまま荼毘に付されてしまう理不尽を嘆いた遺族のことを思えば、立派な布団を掛けられて、きれいに死に化粧をしてもらった母親に触れ、眉毛や睫毛まで生きているかのように感じられたのは、僥倖と言ってもいい。

 たとえばウクライナやコロナ死や大震災のことを思えば、人なみに通夜を執り行い、葬儀を出せるだけでも幸せだ。
(いまこれを書いているのは母親が没した当日だが、公開日時は葬儀後に設定している。)


 いずれにせよ、母親なら、自分が死者の側である今こそ「生きとうもんのほうが大事や」と言ってくれそうな気がする。

 やすらかに。

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2022.02.28

◆長いお別れ

 標題は、レイモンド・チャンドラーの小説とは何の関係もない。 
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 もう先々週のことになるが、高齢者施設に入所している母親がコロナに罹ったという知らせを受けた。

 調べてみると、クラスタとしてニュースにもなっていた。

 まあ、半々くらいで覚悟はしつつ、ふつうに日常生活を送っていたのだが(旅行にすら出かけた)、今夜になってやっと、無事回復したことを知った。
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 母親が現実に死ぬかもと思いはじめてから、もう10年近くになる。

 敗血症・脳梗塞・肝臓がんをそれぞれ乗り越えてきて、糖尿病ともずっとつきあっている。まだ他にもいろいろあったような気もするが、もはや思い出せない。
 そこへきてコロナである。身内の罹患者は初めてだし、知り合いですらまだ1人しか知らない。

 母親に関しては、少なくともこの10年ほどずっと、いつ死ぬかいつ死ぬかと折りに触れては思い出すので、長い間、お別れの精神的準備をしているような気分である。

 お蔭で、もはやいつ死んでも大丈夫な気がしている。
 もちろん、葬式で涙くらいは流すかもしれないが、それだけのことだ。
 しょせん、ひとはみな死ぬのである。

 息子に精神的準備期間をくれただけでもありがたい。

 伊勢物語に

  世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため

という歌があるが、「さらぬ別れ」(避けられぬ別れ=死)はいつか必ず来ることがわかっているのだから、「千代もと祈る」ことすら私はしない。
 詮のないことだからである。

 いつのころからか、「家内安全」を祈るときにも、両親は外している。
 どんな神仏であろうが、絶対に無理なことを頼まれても困るだろう。

 元気だった父親も、卒寿を越えてしばらくしてからは介護認定を受けるくらいには弱っている。

 さらぬ別れを、遠かれと思わないでもない。

 だが、遠くなっても、長いお別れがさらに長く続くだけのことだ。
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 生老病死とはよく言ったものである。
 この四苦に続くのが愛別離苦であることもやるせない。

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2022.01.15

■外壁の補修

 本来なら今ごろ、グライダーで大空を舞っているはずだった(陳腐&大げさ)。

 なんでも、天気はいいのだが滑走路に積雪があり、今日はどうも無理ではないかという連絡があったので、諦めて家にいることにした。

 朝、遅くに来た父親からの年賀状の返事を出しに、歩いて郵便局に出かけた。

 年賀状はやめたと伝えていたのに、忘れたのか、今年は来た。もしかすると、去年も来ていたかもしれない。
 いずれにせよ、卒寿を過ぎての肺炎(コロナではありません)から回復したことを示すわけで、めでたいことには違いない。

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 郵便局の帰り、家の外壁をなにげなく見上げると、明白に色がおかしい部分があるのに気づいた。

 帰宅して近くから見ると、まん中がひび割れている。
 陽のあるうちに歩いて自宅に帰って来るなど(特にコロナ以降は)ほとんどないので、今日まで気づかなかったのだ。

 タイルのような外観ではあるがサイディングであり、1枚分相当だけ色が変わっているというのはどう考えてもおかしい。
 それに、上下の目地に色を塗ったような痕跡もある。

 以前外壁補修をお願いした業者さんに電話すると、仕事の途中で寄り道してさっそく来てくださり、診断してもらった。

 その結果・・・

 「おそらく、新築の時に異常があったのを糊塗するための塗装が経年劣化で色褪せてきたのではないか」という診断を、ためらいながらも教えてくれた。
 それにしても、「糊塗」とはよく言ったものだ。(おそらく)新築時には既にあったひび割れをコーキングで隠し、色合わせした塗料を塗っていたのである。

 補修するとなるとどうすればいいのか伺うと、コーキング剤を充填して塗料を塗るという。
 要するに、もう一度同じことをするわけだ。

 それほど深刻に考えなくてもいいし、たいした手間でもないというのでとりあえずはほっとしたが、いくらくらいかかるのか聞くと、やはり2万円くらいにはなるという。

 「もしかして、ホームセンターでコーキング剤を買ってきて、自分でやっても大丈夫ですか?」と聞くと、それでも十分ではないかという雰囲気であった。

 業者さんを見送ってから、どうしようか家人と相談しつつ考えた挙げ句、まあ、やってもらおうかという話になりかけた。

 ところが、物入れを開けると、セメダインのバスコークN(マスキングテープ付)があり、いつのものだかはわからないものの、防カビ剤入りで防水・耐湯・耐熱・耐寒(-40℃〜120℃)だという。
 「浴室・キッチン」というのが気になったが、買いに行くのが面倒だというのも大きかったので、ええい、かまうものか、一気にこれで片付けてしまえ・・・という方に傾いた。

 やってしまってから気がついたが、室内用らしいので、もしかすると耐紫外線性能とかが弱いかもしれない😅

 ガレージから脚立を持ち出して、ちょっと無理な姿勢ではあったが、なんとか補修できた(と思う)。
 今はまだ、マスキングテープを剥がしていない。

 転落するとかそういう心配をちょっとしていたが、取り越し苦労であった一方、もしかすると筋肉痛になったりするかもしれない。

 これで2万円の節約。今日、飛びに行けなかったこととあわせて4万円くらいの節約になっただろうか。

 相変わらずケチである。

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