2025.01.18

■あの震災から30年

 あの震災から30年。

 大きな区切りの年なので、テレビのニュースがそれで埋まるかと思っていたのだが、まったくそんなことはなく、フジテレビと中居正広の問題やロサンゼルスの火事の報道がメインで、震災報道が片隅に追いやられていたのには驚いた。
 所詮は、東京とは縁の薄い一地方の「ひとごと」であることがよくわかった。「ちょっと近い外国」程度に思われている気がした。

 某有名ニュース番組では、ごく短い震災報道の中心がなんと天皇と皇后だった。阪神淡路よりは、まだ皇室の方が身近なのかもしれない。
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 それはともかく、どこにも公表していない小説もどきの断片がパソコンの中に眠っているはずなので、30年を機にここで供養しようかと思いたち、ふと思いついて念のため検索してみると、震災から20年のとき(すなわち10年前)、既にここで公表していたことがわかった・・・

 いやはや何とも情けないというか恥知らずというか。

 本人すら忘れているくらいだから再掲してもいいのだが、ネットにはリンクという便利なものがあるので、それを利用することにする。

 ご一読くだされば幸いである。

 ■1995年1月17日に寄せて

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2025.01.01

■謹賀2025年

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 あけましておめでとうございます。

 2025というのは面白い数字だということが巷間言われております。

 素因数分解すると、3×3×3×3×5×5

 すなわち、9×9×25

 というか、81×25

 そして何より、かけ算の九九の結果をぜんぶ足す(すなわち1から81まで)と2025になるというのがすごいですね。

 こんな面白い数字はなかなかありません。何か今年はいいことがあるような気がいたします。

 本年も、みなさまのご健康とご多幸をお祈りいたします。

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2024.10.04

◆郵便料金の値上げと「一銭五厘」

 10月1日から郵便料金が値上げされ、はがきが85円、封書が110円になった

 それに関連して書かれた今日4日の天声人語(朝日新聞)を読んで不思議に思った。
 1937(昭和12)年にも官製はがきの料金が大幅値上げされていて、二銭になったというのだ。

 一銭五厘ではないのか?

 若い人は何のことかわからないかもしれない(それでも、歴史の勉強や小説・随筆・ドラマなどを通して知っているのが本来の姿だと思う)が、「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」(日本経済新聞20190119)というのが一般的な理解だ。

 徴兵された兵隊が「「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ」(「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」由来)たというような話は、いわば常識であり、私自身、直接間接に何度も見聞きした記憶がある。

 だが、はがきの料金は、1937(昭和12)年4月に値上げされ、それまでの一銭五厘から二銭になったという。
 であれば、日中戦争が始まったのは1937年7月だから、日本経済新聞の「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと」というのは、明白な誤りだ(後記:ただし、満州事変から「戦時中」だと考えれば、最初の1/3ほどは実際に一銭五厘だった)ということになる。
 私自身、迂闊にも戦時中のはがき代は一銭五厘だと思っていた。
(まさか、戦時中に値下げされて一銭五厘に戻ったのか?とも一瞬考えたが、調べるともちろんそんなことはなく、むしろ、三銭(1944年4月)、五銭(1945年4月)と値上がりしたらしい。)

 ただ、「召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」というのは誤りではない。戦時中に兵隊たちが(「教育的」効果を狙ってか)「一銭五厘」と呼ばれて軽んじられていたのは、まず間違いのない事実である。
 だとすると、1937年以前の悪しき伝統が受け継がれ、郵便料金が値上げされて(二銭どころか五銭になって)からも、新兵を「一銭五厘」と呼んでいたのだろうと推測できる。

 雑誌『暮しの手帖』の創刊者である花森安治も、徴兵されて実際に一銭五厘呼ばわりされていたことを書いている。特に『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社1971)はロングセラーとして有名で、出版から半世紀以上経った今なおすぐに手に入る(本来の表記は『一戔五厘の旗』)。

 花森が召集されたのは1937年秋のことらしく、まさに郵便料金が値上げされて半年後ということになる。ならば、新兵を「一銭五厘」と呼び続けていても不思議ではないし、その後も実際の郵便料金とは関係なく、符牒として継承されたのであろう。
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 ただ、ご存じの向きも多いかと思うが、そもそも召集令状に はがきは利用されていない。戦時中にたくさんの人々が目にした召集令状、いわゆる「赤紙」を検索すればすぐにわかるが、どう見てもはがきではありえない
 実際には、赤紙の送達には郵便は使わず、役場の官吏が対象者(留守の場合は家族)に直接手渡していたという。

 その意味で、「一銭五厘」があくまでも比喩として使われていたということも、いわば常識であった。

 ただ、天下の『日本経済新聞』ですら「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」と書いたりして、後半は誤りとは言えないにしても、そういう言説が繰り返されることによって、

「兵隊は一銭五厘のはがきで召集された」

という二重に誤った風説が定着してしまうことになるのである。
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 この件に限らず、私たちが常識だと信じ込んでいることが、事実とはまったく異なることは多い。

 あらゆる「知識」は、つねに仮のものであり、不断の検証を必要とする。

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2024.09.26

■ "I gave at the office." と生成AI

 その昔、アメリカのテレビドラマの『ER 緊急救命室』で、さんざん働かされた医師のカーターが宿直室に籠もり、ドアに "Do not disturb ! I gave at the office !" という張り紙をした話があった。検索したところ、字幕は「起こすな! もう死んでる!」だったようだ。

 この、"I gave at the office." 、当時はいろいろ調べても納得のいく訳がわからなかった。
 文字どおりに訳せば、「私はオフィスで渡した。」ということだが(何を?)、文脈からは、「もうじゅうぶん働いた。」というニュアンスだと思った。
 さっき、家人が見ていたフィールド・オブ・ドリームス(ケビン・コスナー)で、たまたま同じ台詞が聞こえてきたので、この件を思い出し、少し「巻き戻し」て見せてもらったが、字幕には訳出していなかった。流れからは「私はもうこの分野で十分貢献した(から今さら何かをするつもりはない)」という感じだった。

 あらためて、評価の高いDeepL で "I gave at the office." を翻訳すると、「事務所で渡したよ。」「会社で渡した。」「事務所で授賞式を行った。」と出てきたが、どれもヘンだ。Google 翻訳でも同様に「事務所でお渡ししました。」と出る。

 さて、時代は流れ、いまは生成AIというものが存在する。
 3つほどのAIに尋ねると、どれも的確な答を返してきた。中でも秀逸だったのは、Claude 3.5 Sonnet で、以下のような回答であった。

「I gave at the office.」という英語の表現を日本語に訳すと、以下のようになります:
「もう寄付しました。」または「すでに寄付済みです。」
この表現は、文字通りの意味ではなく、慣用句として使われます。主に以下のような状況で使用されます:
寄付や募金を求められたときに、丁寧に断るための言い訳として使います。
実際に職場で寄付をしたかどうかに関わらず、これ以上の寄付や貢献を求められたくないという意思を示すために使います。
より広い意味で、「もう十分貢献した」「これ以上は勘弁してください」というニュアンスを込めて使うこともあります。
したがって、この表現は直訳ではなく、文脈や状況に応じて適切な日本語表現を選ぶ必要があります。

 ここまで気の利いた解説は、これまではその分野に詳しい人間からしか得られなかった。
 それがこうも簡単に的確な説明が得られるようになったとは・・・

 あとは、しれっと嘘をつかないように、わからないことはわからないときちんと返事するようにAIをチューニングするだけで、ものすごく役に立つツールになると思う。
 現状では、嘘をつかれたときに見抜ける分野でないと、使いものにならない。

 だが、何でもAIに聞けばとりあえずOK・・・まで、そう遠くはない気がする。

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2024.09.09

■ポルトガル ドライブ旅行事情

 ポルトガルのドライブ旅行で心配したのは、高速道路料金の支払い方法と駐車場所の確保とだった。
 案ずるより産むが易し、ほとんどというか、結果としてはまったく問題なかったのだが、これから旅行しようという方のために、簡単に記しておく。

 まず、高速料金についてはまったく心配ない。

 ポルトガルのレンタカーには Via Verde(直訳すれば「緑経由」)というシステムの搭載が義務付けられているそうで(その機器利用料を貸出時に請求される)、料金ゲートのあるところでは左側に1〜3つ程度ある、緑の「V」マークが書かれた車線を60km/h以下で走行すると、自動的に料金が計上され、レンタカー会社に請求されるようになっている。日本のETCにあるようなバーはない。
 また、北部を中心に、ゲートもなく減速の必要もなく、ふつうに本車線上を走っているだけで請求されるシステムもある。
 車を返却したときに、どの地点でいくら払ったかの一覧をレンタカー会社からもらったが、ゲートのあるなしでは区別されずに、ずらっと時系列に並んでいた。その合計額をレンタカー会社にクレジットカードで支払うのだが、返却日に近い請求はまだレンタカー会社に届いておらず、後から別に請求されることになる点には留意する必要がある。

 スペインでは、ふつうの料金所の係員がいる(人の絵のアイコンがある)レーンに向かい、クレジットカードで支払った。無人のブースしかない料金所もあったが、クレカで大丈夫だった。

 次に駐車について。

 これは、「ほとんど」心配ない。

 ポルトガルは、路上駐車天国というか地獄というか、基本的に道路はほとんど駐車場である(笑)
 駐車禁止のところには、比較的わかりやすく黄色の表示があるので駐めてはいけない。
 それ以外に、Pマークがあっても、Residentes(居住者)の単語には注意したい。そこに住んでいる人用で、観光客は駐められない。典型的には、Estacionamento Reservado a Residentes(Parking Reserved for Residents)と表記されている。

 一部にパーキングメーター的な、お金を払って出てきたチケットをダッシュボードに置いておくタイプがある。Pの看板の下に pago とあればそれだ。一度だけ、マフラ宮殿の駐車場で使ったが、1€で1時間半駐めることができた。故障してそうな機械が多いし、コインが必要なのでご注意を。
 また、結果的にどうなるのかは知らないが、どこでも、払っていない車が大多数のようだった。

 ここまで読んで心配になった方も多いかと思うが、基本的には上記に書いた以上に楽だ。
 ポルトガルの観光名所の街は、多く城壁に囲まれていたりして、城壁内は歩いて観光できる程度の大きさがほとんどなのだが、その城壁のすぐ外に、広大な無料の駐車場が確保されている場合が多い。
 狭い村なんかだと、広大とまでは言えなくても、なんとか観光客の駐車を捌けるほどの台数はだいたい確保されている。よほどのトップシーズンでなければ、駐車に苦労することはまずないだろう。
 Google Maps で航空写真を表示させると、観光地の周囲に乗用車が多数駐車している様子を見ることができる。そこをナビの目的地に設定すればいい。

 2週間以上、たぶん20数都市を車で訪れて、駐車にちょっと苦労したかなというのは、コインブラとナザレだけだった。その2つにしても、結局は5分ほどで駐車場所を見つけることができたので、結局、今回の旅行で駐車に苦労したことは1度もなかったということになる。
 スペインを含め、ショッピングモールの駐車場に駐めたことは2回あるが、通常の、お金を払って駐めるような屋内型の駐車場に駐めたのは、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラだけであった。この時だけは駐車料を2200円も払ったが、それ以外で駐車料金を払ったのはマフラ宮殿の1€だけだったと記憶している。

 ただし、ポルトとリスボンには車を乗り入れていない。ポルトでは郊外に宿を取り、中心部へは片道4€ほどのUberで往復した。
 リスボンは、空港近くの営業所にレンタカーを返却してから、地下鉄駅にほど近い宿を取って、地下鉄で中心部へ移動している。
 ポルトやリスボンの市街地を車で走ることはお勧めしない。特にリスボンは大渋滞で大変そうな場面を何度か目撃した。ただ、少し中心地を離れるといくらでも駐める所はあるので、そこから公共交通機関なりUberなりを使えばなんとかなるとは思う。
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 最後に、慣れているつもりではいても、右側通行で左ハンドルのマニュアル車というのは、ときどき落とし穴がある。今回の旅行でも、2〜3度、左側を逆走し(そうになっ)た。1度などは、「なんでこいつ、正面から来るねん」と、自分の逆走を棚に上げる心理に陥ったことすらある。
 一車線ほどの幅しかない交通量の少ない道を走っていて、たまに対向車が来たりした時に譲ろうとすると、とっさに左に寄ろうとしてしまう点にも注意したい。

 また、多くの交差点がロータリー方式になっているのはヨーロッパほぼ共通だが、そうではない交差点では右折と左折のレーンが交差点の手前で分かれていることが多く、どちらに進入すればいいのかたまに戸惑った。ほとんどの場合、前車(右折)は徐行で、後者(左折)は一時停止となっている。
 (後記:そうそう、ロータリー方式でも、右折車だけを先に曲がらせてしまうタイプもあった。ロータリーの手前に右折専用車線があり、ロータリーに進むのは右折車以外、というタイプである。これも少し戸惑った。)

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 細かいことはいろいろありますが、もし何か疑問があればわかる範囲でお答えしますので、コメントをいただければ幸いです。

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2024.09.08

■EUの最貧国?

 Google でポルトガルを検索すると、
「ポルトガルは安全な国ですか?」はいいとして、
「ポルトガルは貧しい国ですか?」
「ポルトガルは先進国ですか?」、はては、
「ポルトガルは最貧国ですか?」のようなものがずらっと並んで辟易する。

 1人あたりGDPでポルトガルを見ると、EU27か国のうち18位と、確かにEUの中では決して金持ちの国ではないようだ。

 しかし、14位から25位を見ると、スペイン・スロベニア・チェコ・エストニア・ポルトガル・リトアニア・スロバキア・ラトビア・ギリシア・ハンガリー・ポーランド・クロアチアと並んでいて(2023年)、この中のギリシア以外は行ったことがあるが、どの国も、決して貧しい感じは受けなかった。

 それもそのはず、この中で最下位のクロアチアですら、世界では55位と、上位1/4くらいには入るのである。ポルトガルは42位、上位1/5だ。

 実際、ポルトガルが「貧しい国」、ましてや「最貧国」という感じはぜんぜんしない。
 高速道路網は日本よりはるかに発達しているし、北部を中心に、日本のETCのようなシステムを超えて、そもそもゲートすらない料金収受システムまで備えている。120km/hの制限速度からまったく減速しないで、自動的に料金を支払えるのだ。

 高速道路料金を徴収する時点で「ちょっとダメな国感」も感じられるが、フランスだってイタリアだってもちろん日本だって有料だ。
 それに料金も安く、今回、反時計回りにほぼ一周して2200kmほどを走り、躊躇なく高速道路を使っていたが、総料金はせいぜい6000円くらいですんだ。日本なら、大阪から長野までの400kmあまりすら走れない金額だ。

 一切減速することなく徴収できる利点の一つに、短い距離で低額を取っても交通の流れを阻害したりしないことがある。見た中で区間最安値は0.15€、日本円で25円ほどだった。

 国の貧しさは道路事情によく表れる。高速道路に限らず、ポルトガルの道路はよく整備されていて、人口が1000万人ほどの国だとはとても思えなかった。

 だいたい、タコのグリルが一皿4000円もする国が、貧しいはずがないのである(笑)

 名所への入場料が高いのにも困った。だいたい1500円〜2000円が相場で、夫婦では3〜4千円にもなってしまう。そんな「貧しい国」があるだろうか。

 プジョーやルノーの車が多いが、メルセデスだってBMWだって、あるいはテスラさえも、高速道路をばんばん走っている。ポルシェも何度も見た。
 さすがにフェラーリやランボルギーニは見なかったが、田舎ばかりを走っていたからかもしれない。

 住宅だって立派だ。広い敷地に綺麗な一戸建てが標準、屋根はすべてオレンジで壁は基本的に白。壁には水色や緑やピンクのパステルカラーを使っているところもあったが、名所でも何でもない街でも建物に統一感があり、街並みが美しい。

 ただまあ、敢えて言えば人々の生活が「質素」かもしれないという気はちょっとする。できるだけ地産地消で、足るを知る生活をしている感はあった。
 その証拠に、というべきか、日本を遥かにしのぐ高速道路網に、トラックがほとんど走っていないのだ。

 いや、ほとんどというのは言い過ぎで、もちろん時々は走っている。だが、日本の高速道路を知る者の目からすると、ほとんどいないも同然であった。日本の高速はトラックだらけだと言っても過言ではないし、夜中は文字どおり、本当にトラックばかりである。
 外国の例だと、たとえばドイツのアウトバーンを走ったのは昼間だけだが、それでもいちばん右(低速)側の車線にはトラックがずらりと並んで整然と走っていたものだ。

 ポルトガルの数少ないトラックを見ていると、いったい流通はどうしているのだろうと思うのだが、あれでやっていけているのだとすれば、むしろそこには「質素で豊かな」生活が地域に根付いているのではないかという気がする。

 泊まった宿の中には、勤め人や農家が家や部屋を貸し出しているところも多かったが、みなさん、何というか、「堅実」という感触を受けた。
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 いま、ふと気になって日本の1人あたりGDPを調べてみると、ポルトガルの1.22倍に過ぎなかった(2023年)。

 ポルトガルが最貧国なら、日本もそう変わらないのである。旅行の費用が懐を直撃するわけだ😢

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2024.09.06

■不機嫌なおばさん

 「働くおじさん」と「不機嫌なおばさん」をならべると、なんだかミソジニーのきついショービニストみたいだが、もちろんそうではない。ただ、こちらに来てからの経験では、不機嫌なおじさん1に対しておばさん5くらいの実感はあった。

 同じ働くんだから、「働くおじさん」のように機嫌よく笑顔で働いていればお互いにハッピーだと思うのだが、なぜか不機嫌な人もそれなりにいる。

 特にアメリカには(男女問わず)多い気がしていて、昔、同僚とアメリカに出張した折りに話題にしてみたことがある。その同僚の夫はアメリカ人なのだが、その夫の見解によると「自分の仕事に満足していないから」だということであった。
 アメリカンドリームなどという、ほとんどの人にとっては幻想に過ぎない夢を抱かされ、それが叶えられない現状に常に不満がある。それで不機嫌なものだから、そのとばっちりを顧客が受けるわけである。

 ここポルトガルでは、おそらくそういう感じではない。
 一部に、客のことを金銭を運んでくるだけの存在だと考えていたり、客と人間的な交流を持ちたくなかったりする人がいるのではないかという気はする。
 あるいは、ただプロフェッショナリズムに欠け、まったく事務的に仕事をこなしているだけかもしれない。

 いま泊まっている宿のご主人と娘さんは、いずれもとても愛想がよくて親切だ。
 でも、思い過ごしかもしれないが、ビジネスをうまく展開するための、営業的な「おもてなし」感がないではない。「働くおじさん」で書いたホテル経営者は、そういう感じがまったくしなかった。
 あるいは逆かもしれない。いや、もしかすると双方ともに営業スマイルか、いずれも心からの笑顔かもしれない。ほんとうのところはわかりようがない。
 だがまあ、事実はどうであれ、一介の客として不満はない。

 問題は、先日ランチを食べたレストランのように、経営者だと思われるおばさんがレジに座っていて、いかにも愛想なく金銭の受け渡しが行われることや、今日の工房兼土産物店のように、精一杯の現地語で挨拶してお店に入っていっても、ニコリともせずに迎えられたりすることがたまにあることだ。
 アジア人への偏見が裏にあるのかと僻みたくもなるが、見ていると、白人客に対しても同じなので、妙に安心してしまう。
 でも、いやしくも客商売をしているのだから、もう少し愛想よくしないのはなぜなのか、ほんとに不思議だ。
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 私自身は客商売の経験はないが、一度だけ、ボランティアで蕎麦屋のウェイター?をしたことがある。
 われながら、愛想もよく、目配りも気配りも行き届いた、いいウェイターだったと思う(笑)
 いきつけの寿司屋の大将は、自分が通う店でそういう気の利いた店員を見つけると声をかけ、自分の店でアルバイトをしてもらうと言っていた(ついでに?、奥さんもそうして見つけていた)。

 あ、いま思い出した。
 オーストラリアに仕事で行った際、ウェイターがあまりにひどかったので、店主に苦情を言ったことがある。そんなことをしたのは人生でその時だけだ。
 店主は苦渋の表情で、「ほんとに申し訳ありません。おっしゃることは十分認識しているのですが、人手不足で困っていて、いい人を雇うことがまったくできないのです。どうかお許しください」ということであった。

 そういうことならまだ仕方がない。でも、経営者までが無愛想なのはぜひやめてほしい。

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2024.09.05

■働くおじさん

 その昔、「はたらくおじさん」という教育番組がNHKで放送されていた。
 今でもやってるのかな?
 似たような番組ならあるかもしれないが、今ならそのタイトルで放送することは不可能だろう。おばさんだって働いていることを度外視してつけられた番組名が時代を感じさせる。

 急に「はたらくおじさん」を思い出したのは、昨日まで2泊したホテルの経営者が、絵に描いたような「働くおじさん」だったからだ。
 とにかく笑顔で細部にまで気を配りつつ、ずっと立ち働いている。近所の人?や泊まり客との会話も、楽しそうに自然にこなしている。もはや、ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた。

 このホテルが、今回のポルトガル(+スペイン)旅行で泊まる唯一の「ふつうの」ホテルなのだが、その建物の外観や部屋の様子から、ちょっときれいなビジネスホテル的なものを想像していた。フロントには若い男女がひとりずつならび、ビジネスライクにチェックインの手続きをするようなイメージだ。

 ところが、出迎えてくれたのは、英語を話さないおじさんひとり。それが経営者だと後(のち)にわかるのだが、当初は「こんな現代的なホテルで英語を話さないフロントとは・・・」と、驚いたものだ。

 あとで、Google Street View の過去写真とおじさんの話からわかったところによると、もともとは家族経営のホステルで、昔よく大陸ヨーロッパの田舎でわれわれが泊まっていたようなタイプの宿だったらしい。そういうところのご主人や女将は、たしかにたいてい英語を話さなかった。
(ただ、ちょっと違うのは、ホステルの一階で大きなレストランをやっており、地元の結婚式の会場などにも使われていたということであった。)
 その建物を、新築したかのように改築し、現代的なホテルに衣替えしている。隣には伝統を引き継ぐレストランも(たぶん)新築されていたが、残念ながら利用する機会はなかった。

 さて、そのおじさんの姿を見ない時はなく、滞在中、部屋を出て下に降りると常に何かしら働いていた。
 朝食の際の食品補充や清掃のマメさは特筆もので、よくもまあ、こんなに働くなあと感心していた。
 また、車の荷物を取るために夜遅くおりていくと、フロントで何やら事務仕事をしていた。

 3日目の朝、「いつも勤勉にお仕事をなさっているようですが、お休みを取ることはあるのですか?」と、Google の翻訳を使ってフランス語で聞いてみた。
 すると、案の定、Non である。土曜も日曜も含め、だいたい毎日15時間働いているというのだ。おおげさではなく、確かにそんな感じである。人を雇ってシフトを組むこともできそうなものだが、そういうことをしそうなタイプではない。そもそもが働き者だし、細部まで自分でやっておきたい性分も見てとれた。

 そして何より、楽しく仕事をしているのだ。マメに動き回られても、本人が楽しそうだからだろう、せわしなくて落ち着かないような感じをこちらに抱かせない。
 上に「ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた」と書いたが、もっと言えば、人生そのものであるようにも見えた。
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 今日は世界遺産になっているトマールの修道院を見学した。
 修道女たちがどういう生活をしていたのかは想像するしかないが、彼女たちもまた、修道院での祈りと仕事が生活そのものであり、ひいては人生そのものだったのだろうと思う。

 ひるがえって私は、けっして「働くおじさん」ではなく、ホモ・ルーデンス、つまりは「遊ぶおじさん」でありたいと思っている。間違っても、ホテルのおじさんや修道女のような生活・人生は送れない。

 だが、(内実を知らなすぎる)修道女はともかく、ホテルのおじさんに関しては、あのように働くことがすなわち「遊び」なのかもしれないとも考える。
 毎日15時間も働くのはいったい何のためなのか、と私なんかは考えてしまうのだが、働くこと自体が喜びであり遊びであり、それ自体がまさに生活であり人生なのだと、ほんの少しはわかったような気にもなる。

 近年、学校の教師の仕事がブラックだという話が人口に膾炙している。
 しかし、現在でも一部の教師はそうであるように、彼(女)らはまさに「働くおじさん(おばさん)」なのだと思う。何か別の生活や人生のために教師の仕事をしているのではなく、教師の仕事そのものが生活であり人生なのだ。そういう人たちにとっては、仕事はけっしてブラックではない。

 ややこしいのは、現代ではもはや、自律的に教師の仕事をまっとうできるような環境が滅多にないことであろう。お役所的なやらされ仕事にあふれ、教育を生活や人生にしたいようなタイプの教師すら、それができなくなっている。
 そうなってしまうと、生活であり人生であってもよかったはずの仕事が、ブラック労働に変質してしまうのである。

 まあしかし、仕事は仕事、生活は生活、休暇は休暇、遊びは遊び、人生は人生・・・というのが日本の戦後、というか、ポスト高度成長の時代では主流だろう。私もいつの間にかそういう感覚を身につけてきた。
 でももしかして、何かのきっかけやタイミングで、あの働くおじさんのように、仕事と生活と人生とが一つになっていたかもしれないという気も、ちょっとするのだ。

 それはそれで、いい人生になったかもしれない・・・けれど、やっぱり自分には無理だな😅

(※「ブラック」という形容詞の使い方には問題があると思いますが、世間の表現にあわせて使用しております。)

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2024.09.02

■コルクとの新たな出会い

 ポルトガルに到着して車を走らせると、最初はずっと荒涼とした半砂漠のような風景が続いていた。
 植わっている木はオリーブかブドウだけだと思っていたのだが、ガイドブックを読んでいた家人が「コルク樫も多い」と教えてくれた。

 今でもワインの栓などでなじみ深い、あのコルクを採取する木である。

 コルクには、幼稚園のころにはすでになじみがあった。
 日本酒の瓶の蓋に使われていたコルクを削り取り、金属の蓋をおはじき代わりにして遊んだりしていたのである。
 今でもときどき、ワインの栓のコルクを抜くのには苦労させられている。

 にもかかわらず、今回旅行に来るまで、コルクとかコルク樫とかについては考えたこともなかった。

 なんでも、コルクというのはコルク樫の樹皮を剥いで作るのだそうで、その樹皮は再生するため、昨今 はやりの持続可能性を備えているのだそうだ。
 そして、驚いたことに、そのコルクで作った財布やカバンや帽子!などがそこここで大量に売られているのである。コルクは、ここポルトガルの特産品であるらしい。

 コルクと言えばほとんど栓とかコースターしか知らなかったので、あらためて自分の無知を再確認した。

 最初は、ドン・ルイス一世橋のたもとのドウロ川の岸辺の露店で、綺麗なデザインの小銭入れのようなものが1€で売られているのを見て、軽い気持ちで買った。
 次の日、さまざまなコルクのカバンを見た中で、自分が使えそうなものとしてウエストポーチが気に入り、露店ではなくちょっと高級そうな土産物屋に、わざわざ戻って購入した。

 そのときは別に何も期待していなかったのだが、店員が「皮革と同じくらいの耐久性があるし、皮革とは違って耐水性もある」と説明するので、「まあ、都合のいい売り文句だよな」と思いながら話半分で聞いていた。
 でも、買ってから調べると、どうも実際にそのとおりのようなのだ。

 皮革と同じくらいの耐久性??

 まだ信じられないのだが、実際、ヴィーガンレザーとも呼ばれ、環境意識の高い人々に人気なのだという。

 たまたま気に入って衝動買いしたようなものなので、なんだか得をしたような気分になった。

 ただ、予想もしなかった問題点があった。

 腰に回すベルトが長すぎ、いくら縮めてもフィットしないのだ。結局、これ以上は無理というところまで短くして、やっと何とか使えるくらいにはなった。それでも、まだかなり余裕がある。
 いったい、どんなウエストを基準にしているのか。これが家人や息子だったら、まったく使いものにならなかったところだ。

 ともあれ、皮革と同じ耐久性、皮革にはない耐水性・・・

 信じて長く愛用したいと思う。

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2024.08.30

★GPSとiPhoneの旅

 同じことの繰り返しなので特に新しいことはないのだけれど、2012年の旧東欧の旅からはGPSナビゲーションが、2016年のアイスランドの旅からはiPhoneが必需品になった。
 もっとも、アイスランドではGPSはほとんど必要なかったので、両方必要になったのは2019年のバルト3国からだ。

 昨年のニュージーランドはともかく、今年のポルトガルとスペインは、ナビがなければとてもたどり着けないようなところへ頻繁に案内されている。
 今日のサンティアゴ・デ・コンポステーラの駐車場なんかも、もしナビがなければいったいどうやって行けばいいのか見当もつかない。

 そういえば、昨日まで滞在していた、ヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コアでは、本格的に自分の位置と方角を両方見失うという、不安になるような経験をひさしぶりにした。Google Maps があってすら、位置がずれ、方向がおかしいことがときどきあるので、そういうことも起こる。
 どちらの街も道が入り組んでいる上に、通行不可や一方通行の道が多く、Google がそれを無視して指示を出したりするものだから、余計に混乱した。

 以前も書いたが、昔は通りすがりの宿に当日飛び込むのがデフォルトだった。しかし、今回の旅行では、そもそも「通りすがりの宿」などというものを一度も見たことがない。さすがにコンポステーラくらいになると街の中にはホテルもあるが、車で走っていて宿を見かけたことはついぞなかった。

 ドイツなんかを走っていると、うるさいくらいに Zimmer Frei(空き室あり)という看板があって、選び放題みたいな感じだったのだが、今でもああいう感じなのだろうか。

 今回は、結局すべての宿を予約してから来たのだが、そうしておいてよかったという感じがかなりする。もっとも、iPhoneやWi-Fiがあれば、当日になってから予約することも簡単なんだけれど。

 海外旅行に出ると、到着した空港でまず現地のSIMを購入してiPhoneに入れるのが必須になった(そういえば、関西空港にもSIMを売る店があったが、いったいどんな契約でどういうSIMを取り扱っているんだろう?)。

 おそらく実際にはやらないが、四半世紀前のように、現地でミシュランの道路地図を買い、ナビもiPhoneも使わないで旅をしてみたらどうなるだろうと思う。

 あれはあれで楽しかったのだが、これも「サウダーデ」というのだろうか?

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