2019.11.29

●「ええこと」

 おお、11月の記事がひとつもなくなるところだった。

 もし1か月間ココログを更新しなければ、スタートした2004年1月1日以来、初めてのことであろう。
 近年はtwitterがあるからまあいいのだが、「1か月ここに書き込みがなかったら死んだと思ってください」というようなことをかつて書いたような気がする身としては、そうならずにすんでよかったと思う。

 ひとごとながらご休心ください。通常通り生きております。

 さて、11月はゼロ・・・にならずにすむ書き込みを、うれしい気持ちで記すことができて感謝している。
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 もう10年以上も前、親戚の葬儀が続いたときに、

親戚が顔を揃えるというのは、ほとんど葬儀・法要という感じになってしまった。会うたびに「なんかもっとええことで会えたらええのになあ」という声を聞くが、われわれ庶民に「ええこと」なんてそうあるものではない。

 と書いたことがある。

 その後ももちろん「ええこと」などなく(親戚にはあったかもしれないが)、葬儀やら法要やら、その手前の病気やら入院やらが続くばかりであった。

 幸いというか、本人の身にふりかかったことに限れば、家族3人にはそれほど悪いことが起こったわけではなく、「ええこと」がないだけで暮らしてきた。
 まあ、「無事是名馬」だろうと、自虐的に慰めにしている。

 そんな中、今日、「ええこと」の知らせが舞い込んできた。

 大学院修了後、2年間も就職浪人していた息子に、某地方自治体からの「最終合格通知」が届いたのである。

 通知には理不尽にも、「
職員採用候補者名簿」に登録されるだけで「職員採用の必要が生じなければ採用しない場合があります」などと書いてある。
 せっかくの大きな喜びの中に、不安ばかりがふくらんでいく。

 あんまり気になるので、別の自治体の人事課にいたこともある知人に聞いたところ、「4月1日付採用でないことはままあるが、年度内に採用されないという例は聞いたことがない。地方自治体がそんな理不尽なことをして許されるはずがない」という趣旨のお返事をいただき、ひとまずは安心した。

 それにしても、「最終合格通知」に「採用しない場合があります」なんて、学校でいえば「合格しましたが入学できるとは限りません」と同じで、無茶苦茶だと思うのだが、地方公務員の採用というのはそういうもののようで、ほんとにこの国の役所というやつは・・・という愚痴(というよりは正当な怒りだと思うのだが)は、今日に限ってはやめておこう。

 庶民にもたまには「ええこと」があるのである。これでやっと、少しは子離れもできる。

 まあ、学校を出れば就職をするのはふつうのことだし、特段「ええこと」ではないのかもしれない。
 それに、就職したらしたで、いろいろ苦しいことやつらいこともあるんだろうけれど、人生とはたぶんそういうものだし、取り越し苦労をしても仕方がない。

 息子の未来に幸あれと願う。

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2019.01.12

■「失敗重ねた「改革狂の時代」」

 京都大学名誉教授の佐伯啓思さんが、平成は、「ことごとく失敗に終わった」「改革狂の時代」であったと総括していた(asahi.com)。

 「まさしく「改革狂の時代」というほかないであろう」

 「大学改革も教育改革もほとんど意味があったとは思われない」

 その他の改革も
 「ことごとく失敗に終わったというほかない」

 この方とは見解を異にすることも多いけれど、これにはまったく同意する。

 なんとなれば、私がいつもここで書いていることと同じだ(が、頭のいい人が書くとこんなにうまくまとめられるんだなあと感心する)。

 元号とともに世の中が変わりうるものであるならば、怨嗟の声を上げつつ無駄で無益で有害な「改革」に勤しんだ時代は、すっぱりと終わりにしてほしい。
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「効果がないものを「改革」とは呼びません」(寺沢拓敬 関西学院大学准教授:2018年10月31日(水)朝日新聞朝刊)

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2018.10.27

◆文部科学省がここまでひどいとは・・・

 文部科学省の愚かさと非道さは、仕事として関わりのある者の間では つとに知られたことだが、これほどまでに凄まじい例は、さすがに初めてかもしれない。

 平成31年度全国学力・学習状況調査 中学校英語「話すこと」調査に向けて(文部科学省)

 上記リンクの pdf を読むと、中学校の先生方の阿鼻叫喚と怨嗟の声が聞こえ、絶望に打ちひしがれる様子が手に取るようにわかる気がする。

 短い通知文で ものすごい作業量を現場に強いる文科省お得意の書類なので、この際、中学校教員になったつもりで、ぜひ一度みなさまにも目を通していただきたい。

 教員の(場合によっては非人間的とさえ言える)長時間労働が問題・有名になっている中、新たにこれだけの業務を押しつけることの意味を、文科省はわかっているのだろうか(反語)。

 また、文教予算が削減されていく中で、100万人が同じ日に「OS : Windows7 以上・HDD: 空き容量 2GB 以上・メモリ: 4GB 以上・USB 空きポート 1 ポート以上)」のパソコンを使えるだけの資源が学校にあるのだろうか(反語)。

 万一あったとしても、今どきの公的機関のパソコンは、勝手にソフトがインストールできないように、また、USBメモリが接続できないようになっているのがふつうだ。
 その壁をクリアするためには、またしても教員の労働に頼らざるをえない。

 無駄な業務ばかり増えて教育や指導の時間が減る、典型的なパターンである。
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 上記に関しては、「パパ教員の戯れ言日記」というブログに、当事者としては抑えた筆致で具体的に書かれている
 心中はこんなものではないだろう。

 幸いというか、その声は文部科学大臣にまで届いたそうなのだが、「来年4月18日(木曜日)」とまで実施が確定している事業を止められるとは考えにくい。

 いや、止めなくても、こんな「学力テスト」をきちんと実施することは不可能だと思うのだが、もし、献身的・奴隷的労働と膨大な予算の上にそれが可能になったとしたら・・・

 それこそが、「無理が通れば道理が引っ込む」教育行政の恐ろしさだと言えるかもしれない。

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2018.09.25

■ This is a pen. じゃないけれど・・・

 車の中でNHKラジオの英会話教育番組を聞くともなく聞いていると、

 Chris is a lot smarter than he looks.

と作文させる問題が出て驚いた。

 もとの日本語は正確には覚えていないが、「クリスは見た目よりはるかに賢いよ」みたいなのだった。

 これ以前に、新しく来た同僚に関して

 He looks older than he actually is.(「彼は実際の年齢よりも年上に見えるね」)

というのもあった。

 あ、こう訳すとそれほど問題のないようにも見えるが、"looks older" (「老けて見える」)なんて言ってハラスメントとかにならないのかなあと思っていたところへの

 「クリスは見た目よりはるかに賢いよ」

 だった。

 これはすなわち、「クリスは実際よりはるかにアホ(バカ・マヌケ)に見えるね」ということである。

 まともな人間同士が、「クリスは見た目よりはるかに賢いよ」なんていう会話を交わすだろうか。
 番組のターゲットが学生とかだからいいのかな?
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 英会話を教えるときは、習っている人が実際の場面で使う表現を教えるべきだと思う。

 This is a pen. のような、実際にはほとんど使われない表現から英語を教え始めるのはどうかと思うし(最近はさすがにやっていないのかな)、ましてや、使うことで人格を疑われるような表現を教えるのは、害にしかならない。

 それとも、まともな英語話者の間で

 Chris is a lot smarter than he looks.(「クリスは見た目よりはるかに賢いよ」)

のような表現が日常的に交わされているのだろうか。まさかね。
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 アメリカのサスペンスドラマなんかをよく見るので、そこで出てくる不適切な英語を使ってしまわないかと、たまに気になることがある(実際に使って恥をかいたこともある)。

 英語で話す親しい人などいないわけだから、自分が使うべき英語はそこそこまともなものでなければならないのだが、画面からはたとえば、犯罪者同士でしか使わないような英語がわんさか出てくるのだ。

 それはまあ仕方がないにしても、天下のNHKの英会話教育番組で、

 「クリスは見た目よりはるかに賢いよ」(≒「クリスは実際よりはるかにアホ(バカ・マヌケ)に見えるね」)

というのはやめておいたほうがいいと思うのだが。

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2018.08.08

★乳児用液体ミルク解禁

 本日8日、乳児用の液体ミルクが解禁された。「厚生労働省が製品の規格基準を定めた改正省令を公布、施行」(朝日新聞)したそうである。

 その裏にどのような検討と手続きがあったのか定かではないが、これまで日本で製造・販売されていなかった製品が省令一本で販売できるようになるというのはおもしろい。そういうことが可能な製品がほかにどれくらいあるのだろう。

 この液体ミルクが話題になりはじめたのは東日本大震災以降だと思うが、「常温で一定期間保存でき、湯で溶かして冷ます必要もない。粉ミルクより使いやすいと海外では広く売られている」(同)のだという。災害時の支援物資としても頼もしい存在だ。
 今まで日本で売られていなかったのは、単なる行政の怠慢なのだろうか。

 解禁されたものの、市販までには一年以上かかかる見通しだそうだ(「ええ? うちの子、それまでに卒乳しちゃうよ・・・」という方は、ぜひ二人目三人目の時に期待してください)

 解禁と同時にとはいかないまでも、なぜもっと早く売り出せるように準備できなかったんだろう。日本乳業協会が規格作りを要望したのは、もう9年も前のことらしいのに。
 こんなことに10年もかかっているようでは、そりゃ世界から取り残されていくよなあ・・・と思ってしまう。モノが乳児用だけに、「念には念を入れて安全を」ということなのかもしれないけれど。
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 息子にミルクを飲ませていたころ、「どうして液体ミルクがないんだろう」なんて思いつきもしなかった。
 紙おむつはすでにあったが、布おむつの時代には使い捨ての紙おむつを思いつかないのと同じだ。

 「必要は発明の母」というが、凡人には何が必要なのかすらわからない。iPhone がなかったときには、だれもそれが必要だとは思わなかったはずである。

 粉ミルクは厄介だ。

 シリコンの乳首や哺乳瓶を洗ってから煮沸消毒しておく。いったん沸騰させた70℃以上のお湯で調乳、さらにそれを40℃程度にさましてから飲ませる。
 温度計を突っ込むわけにもいかないので、手首の内側に出してみて温度を判定し(「あつっ!」)、その後なめとるのがふつうだった。

 そうした作業をしている間、赤ん坊が火のついたように泣き叫んでいることもあるだろう。
 息子は幸い、あまり手のかからない子で助かったけれど。
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 どんな製品が出てくるのかは知らないが、おそらくは煮沸した乳首をネジ蓋に直接取り付けるだけで飲ませられる製品が売り出されるに違いない。適温にするのは電子レンジで自動だ。

 粉ミルクより重くてかさばるのがネックだが、まだかろうじて残っている牛乳配達の業者が宅配すればいい。業界の生き残りにもつながるだろう。
 購入するにしても、紙パックで常温6か月、レトルトや缶なら9〜12か月大丈夫だそうなので、まとめ買いもたやすい。

 となると、問題は価格か。
 少しでも安くなって、減った育児の負担が赤ちゃんへの愛情に転化されることを願う。

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2018.01.19

■ニュージーランドの首相が出産予定

 ツイッターにひと言・・・でもいいのですが、やっぱりここで。

 ニュージーランドのアーダーン首相が6月に出産予定で、6週間の産休を取る方針であることが明らかになったという(朝日夕刊)。

 子どもを産む年齢で首相であることにまず驚く。37歳だそうだ。
 首相だから最小限の産休しか取れないのは気の毒である。日本ですら産前産後の休暇は14週間取れるのに(特に産後の8週間は強制休暇で、使用者が働かせたくても本人が働きたがっても、働くことは許されない)。だがまあおそらく、日本の国会議員や大臣に産休の規程はないと思うけれど。

 個人的に一番気になったのは、「国家元首クラスの人物(世襲の女王などを除く)が出産した例がこれまでにあったのか」ということ。

 大昔のことはいざ知らず、近代国家の大統領や首相としては、もしかしたら世界初ではないのだろうか。そもそも、女性のトップ自体、ほとんどいなかったのだから。

 記事にこの点に関する言及がないのがなんとももどかしい。


 蛇足:

 アーダーン首相は「(妊娠は)予想していなかったが、興奮している」(朝日夕刊)とコメントしたそうだ。
 予想外の妊娠を喜んで「興奮している」というのは、まっとうな日本語であろうか。

 以前もこのことについて書いた気がするのだが、原文は案の定、"excited" のようだ。辞書を引くと確かに「興奮」のオンパレードだが、こういう文脈で適切な訳だとは到底思えない。
 「大喜びしている」とか「わくわくしている」とか「非常に楽しみにしている」とか、もっときちんと訳してほしい。

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2017.05.26

■揚げ足取りによる馬鹿馬鹿しい閣議決定の連発

 共謀罪にからむ答弁の際に安倍首相が「そもそも」と言った件で、今だに政治資源が浪費されている。

 政府は今日、「首相が自ら辞書を引いて意味を調べたものではない」とする答弁書を閣議決定したという(mainichi.jp)。
 問題となった首相答弁は、1月26日の衆議院予算委員会でのものだ。そこで使われた「そもそも」の意味がああだこうだと揚げ足を取られ、首相や政府も頭の悪い不誠実な答弁を4か月も繰り返していることになる。

 首相が最初「辞書で調べたら『基本的に』という意味もある」と答弁したのは嘘だったのだろう(そういう記載のある辞書は見当たらないし)。次には、誰かが調べてきた「どだい」というのを見つけ、だから「基本的に」だと閣議決定した。
 そして今度は、「首相自身は辞書を引いていない」と逃げているのである。
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 頭のいい官僚が山のようにバックについているのに、どうしてこういうことになるのか理解に苦しむ。
 もしかすると、助け船を出さずに、政治家の馬鹿さ加減を陰であざ笑っているのだろうか。

 国会中継を聞いていれば誰でもすぐにわかると思うが、「そもそも」というのは、首相の口癖の一つである。一度数えてみればいいと思うのだが、耳障りなほど「そもそも」を連発している。ちょっと苛立ったときなどにはてきめんに顔を出す。
 それだけのことなのだ。

 もう一つ、ほんの少しの労を厭わず辞書を引けば、「そもそも」の語義として「改めて説き起こすとき、文頭に用いる語」などがあがっている。こういう言葉の「意味」を説明することは非常に難しいし、別の言葉に言い換えることはまず不可能である。
(「どうせ」とか「せっかく」などという言葉の言い換えを考えてみてほしい。あるいは英語などに訳してみようと試みてみてもいい。)

 「改めて説き起こす」「そもそも」の場合、「文頭に用いる」と書かれていることが首相の用法と異なるから答弁に採用されなかったのだろうか。

 首相は、「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」(asahi.com)と述べたのだが、言いたかったのは、「そもそも、今回は犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない」ということではないだろうか。
 日本語は比較的語順が自由なので、この程度のことは話し言葉ではいくらでもあることである。

 安倍首相を庇うつもりはないが、こういうつまらない言葉尻をとらえて政治資源を浪費している野党も野党だと思う。そして、首相や政府の方も、「口癖が出ただけだ」では格好がつかないのなら、「「改めて説き起こす」ために使ったのだ」と答弁すればそれですんだはずだ。
 マスコミがそういう指摘をしないのも腑に落ちない。

 こんなつまらないことで4か月にもわたって揚げ足を取り続けたり(野党)、見苦しい答弁書を何度も閣議決定したり(首相・政府)するなど、政治資源を浪費するのは是非やめてほしい。

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2017.05.23

■耳をすませば・・・

 車での移動中、時間が合えばラジオで語学教育番組を聞くことがある。とはいっても、ほとんどは英語だ。

 その中に、「ラジオ英会話」というのがあり、学習内容に関係なくよく使われている表現に

  Now everyone, perk up your ears for our next segment.

というのがある(と思っていた)。

  さあみなさん、耳をそばだてて次の部分をよく聞いてください。

くらいの意味であろう。

 それが今日、何の前触れもなしに、聞き流しているだけなのに、perk up が prick up に聞こえた。複数回の発音がどれも。間違いない。

 わお。今まで聞き取れていなかったのか。

 ふつうの中型辞書では、perk up に直接「耳をそばだてる」という意味は載っていないことの方が多いようだ。
 それに対して、prick up なら、ずばり、

  prick up one's ears (1)〈馬・犬などが〉耳をそばだてる.
             (2)〈人が〉聞き耳を立てる; 熱心に聞く.

という記述がある(研究社 英和中辞典)。ずっと perk up だと思っていたのが、実は prick up だったのである。

 どうして今まで聞こえなかったんだろう? そしてまた、どうして急に聞こえ始めたんだろう?
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 ・・・と思ってネットで調べてみると、perk up だと思っている人が多いような感じである。
 「該当部分が聞き取れません」への回答のほとんどが perk up、英語の講師に聞いてもらったら perk up だった・・・などなど。

 だが、prick up もあるにはある。面白いのは、最近の書き込みに prick up が多いように見えることだ。

 もしかすると、以前は perk up と言っていたのに、最近は prick up と言うようになったのかもしれないと思うようになった。でもなぜ?

 perk up を調べると、耳というよりは、「首を立てる」「頭をもたげる」さらには「元気になる」「意気揚々とする」という方向性の言葉なので、何か違和感があり、ほんとに perk up なのかなあとずっと疑問に思いながら、そう思って聞いていても perk up にしか聞こえなかったので、「耳をそばだてる」と書いてある辞書を見つけ、納得していたのだ。

 だが、今日の放送では、どう聞いても perk up には聞こえず、prick up であった。
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 事実はどこにあるのだろう。

1.ずっと prick up である。→ ではなぜ以前は perk up としか聞こえなかったのか。
2.ずっと perk up である。→ いや、今日は間違いなく prick up だった。
3.以前は perk up だったが、今日は prick up だった。→ どうしてそんな面倒なことを。
4.いずれにせよ、私の耳がおかしい。

 3なら嬉しいのだが・・・

 こんなつまらないことがとても気になります。どなたか真相を教えてください。

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2017.05.17

■手間暇とコストをかけて現場を混乱させる改悪

 腹立たしいことや嫌なことは、できるだけ書きたくないんだけれど・・・
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 大学入試センター試験の後継として2020年度から導入する新テスト「大学入学共通テスト」(仮称)の実施方針案を文部科学省が公表した。

 これはいったい何なのか。

 当事者である高校生(実際に影響があるのは今の中三からだが)および高校と大学の教員に賛否を問えば、少なくとも80%以上が「変更しない方がマシ」だと回答するのではないだろうか。

 ものすごい手間暇をかけて多額の予算を使い、別に変えなくてもそれほど問題のないセンター試験を改悪する。

 特に、点数を「段階別で示す」というのは筋が悪い。「1点刻みが良くないから」と言うのだが、その「段階別」の境界は、1点刻みでしかありえない。それを2次試験の出願資格などに使うことを想定すると報道されている。それなら結局、1点刻みで受験資格を奪うことになる。そんな簡単なこともわからないのだろうか。
 しかも、この「段階」は、各大学の入学者選抜の視点から見れば、ほとんど意味がない。どの大学も、その難易度に応じて、段階別としては横並びの受験生が大多数を占めることは自明で、そうすると、結局は2次試験の成績だけでほぼ合否が決まることになる。それでは、単に受験資格獲得のための試験になる「共通テスト」も形骸化せざるをえない。

 その他、英語の試験を民間に丸投げ(しかも複数の民間試験を想定)とか、国語と数学の記述式問題の採点も業者に委託とか、「何を考えているのだ」という内容がずらずら並ぶ。

 こんなことをしてまでセンター試験をやめたいのなら、一次試験はすっきり廃止して、大昔の入試制度である各大学の個別試験だけにしてはどうか。
 その方がコストもかからず、混乱も少なく、「今回の案よりは」歓迎されるのはまず間違いないと思う。

 個人的には、かつて英語のリスニングを試験に加えたように、センター試験の中味をよりよいものにブラッシュアップしていくしかないのかなあと思うけれど。
 (↓に書いたような馬鹿な「改革」圧力にさらされ、実際に何度も中小の「改革」を施されながら、それでも共通一次から数えてセンター試験が40年近く生き残ってきたのには、やはり生き残るだけの理由があったのだろうと思う。それがとうとう、今回の「改革」でとどめを刺されようとしている。)
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 この件に限らず、この国の教育行政(特に高等教育)は、やらない方がマシな「改革」を次々と打ち出し、大学はそれに翻弄され、結果は惨憺たるものなのに(法科大学院を見よ)、「だからこそ?また次の改革を」という悪循環を繰り返している。

 なんだか、戦時中の日本軍を思い起こさせ、それもこれも日本人の(日本の官僚組織の?)メンタリティが変わっていないせいなのかと暗澹たる気持ちになる。

 実際に死屍累々とはならないだけマシなのかもしれないが、ほんとにもう、どうしてこうダメなんだろう?

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2017.04.20

★「今の時代には合わない」のではない

 大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)が「戦前・戦中に使われた教育勅語を教材に使用することについて「今の時代には合わない。個々の価値観まで教育の現場で押しつけるのは変な話だ」と述べた」という(朝日新聞朝刊)。

 率直に申し上げて、日本維新の会も松井知事もほとんどまったく評価していないが、この発言は悪くない。残りの部分を含め、記事を読む限り、筋の通ったことを言っていると思える。
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 ただ、言葉尻をとらえるようで恐縮だが、本質的な問題でもあると思うので、ひと言申し述べたい。

 教育勅語の価値観を教育現場で教えることがダメなのは「今の時代には合わない」からではない。
 そういう言い方を許せば、では合う時代があったのか、将来また合う時代が来る可能性があるのか、という話になってしまう。

 そもそも、「戦前・戦中」なら「時代に」「合」っていたからそれでよかったのか。

 歴史上のさまざまな事象には、それぞれ、その時代時代、地域地域の制約や必然・偶然が作用したことだろう。しかしそれでも、よくないことはよくないのだ。
 奴隷制度・人種差別・独裁制・民族浄化・・・といった極端な例を挙げればわかりやすいだろう。

 教育勅語がダメなのは、「今の時代には合わない」からではない。「人類が目指すべき普遍的な価値に合わない」からダメなのだ。
 それは、「今の時代」であろうと「戦前・戦中」であろうと、そして、将来・未来であろうと変わらない。
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 難しいのは、「人類が目指すべき普遍的な価値」の中味と、それにどれだけ多くの人々が合意できるかなんだけれど、それを見いだして合意形成していく努力こそ、人類にもっとも求められていることである。とりあえず、教育勅語がその価値観と合致しないのは論を俟たない。

(蛇足ながら、念のためもう一つ引用しておきたい。「西原博史・早稲田大教授(憲法)は「教育勅語がいうのは、天皇を頂点とする国家とそれを構成する家族内の秩序維持のため、つまり天皇のために親孝行せよということだ。そこを切り離して『いいところもある』と評価するのは、まずは無知であると言うしかない」と話す」(asahi.com))

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